死刑の歴史
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死刑の歴史(しけいのれきし)では、刑罰としての死刑の歴史について記述する。
中世以前の死刑中世ではないが1921年アフガニスタンで行われた刑罰。この事例では強盗犯がかごの中に閉じ込められ餓死した。

死刑は、身体刑と並び、前近代(おおむね18世紀以前)には一般的な刑罰であった。また、「死刑」という刑罰があったわけではなく、多くの「死に至る(ことが多い)刑罰」が並行して用いられていた。たとえば壁に埋め込むなどして餓死させる方法もあった。

懲役・禁錮などの自由刑が普及する前の時代(おおむね18世紀頃まで)には現代とは異なり、死刑は必ずしも重罪に適用される刑罰とは限らず、比較的軽度の犯罪でも簡単に死刑が適用されるものであった。前近代における死刑は、多様な犯罪に適用される刑罰であったことから、単に「生命を奪う」ということのみを目的とするものではなく、身体刑の要素も含まれた複数の執行方法が採用されていることが一般的であった。

みせしめの手段として死刑を残酷に演出するために、車裂き鋸挽き釜茹火刑溺死刑、石打ち首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑凌遅刑など、その執行方法は多種に及んだ。また公開処刑も古今東西行われていた。犯罪行為に対するものにかぎらず社会規範を破った事に対する制裁[1]として死刑が行われていた時代もあった[2]

苦痛の多い「重罪用の死刑」や苦痛が少ない「軽犯罪用の死刑」、あるいは「名誉ある死刑」「不名誉な死刑」などが使い分けられており、処刑方法ごとに別種の刑罰と受け止められていた[3]。また、「生命を奪うことを目的とする刑罰」という現代的定義があてはまるとは限らず、「死亡する確率が極めて高い身体刑」という定義も可能だった。このような認識があったことの裏付けとして「生き残った場合には『刑は執行済』として放免される」という現象が見られたことを挙げることができる。「受刑者の死亡」自体が刑の目的となり、現代的な意味での「死刑」という概念が確立されるのは、のちの時代になってからである。他にも神明裁判で「死ねば(死ななければ)有罪」とされるように、刑罰の執行が有罪か無罪かの判定を兼ねている場合も存在した(死ななかった場合に有罪とされる場合は、改めて死刑に処された)。死体の処分法も刑に含まれることもあり、特にアブラハムの宗教であるユダヤ教キリスト教では死体を焼かれると最後の審判の時に復活できないとされているため、受刑者の精神的圧力は強かった。

死刑が多様な犯罪への処罰として用いられてきたこと、また多様な死刑が存在していたことの理由としては、自由刑が普及するまで「犯罪者を長期にわたって拘束・収容する」という発想・制度が存在しなかったことが挙げられる。結果として、再犯を防ぎ社会的な秩序を守るために死刑が適用されることが多かった[4]

この時代の死刑には、犯罪者を社会から排除することだけではなく、犯罪抑制の観点から見せしめ・報復としての機能も重視されていた。そのため、特に重罪向けの死刑の場合は、「より残虐なもの」「より見栄えのするもの」であるよう工夫された。また秘匿して行うという発想はなく、しばしば祭りとして扱われた。古代では裁判・処刑は支配者の特権であり、斬首用のや撲殺刑用の棍棒といった処刑用具は王権の象徴であった。
関連項目


薬殺刑 - ソクラテスフォーキオンなどはドクニンジンから作られた毒杯による処刑[5]

タルペーイアの岩と呼ばれる崖からの落下死での処刑も行われた。

近代における死刑の変遷

近代に至って西洋人権という新しい概念が開発されるとともに、民主主義・資本主義への移行と統治機構の整備・改革が進むなかで、死刑の祭事性は否定され、非公開とされる傾向が強まった。

さらに、身体刑の要素が軽減されて刑罰内容が「生命を奪う」ことに純化され、執行方法は「強い苦痛を与える方法」を避けて「ギロチン」「絞首刑」「電気椅子」「毒物注射」「銃殺刑」などの比較的短時間にあまり苦痛を伴わずに死ぬようなものに変わっていった。この変化にあわせて、多くの国で死刑の方法が1種類ないしごく少数の種類に統合され、死刑の中での区別が行われにくくなる(行われなくなる)という変遷も生じている[6][7][8]

支配的国家による死刑としては、アメリカ大陸でのイギリス系政府によるセイラム魔女裁判、フランス領ベトナムでのハノイ投毒事件の死刑など宗教思想や政治思想に起因する死刑も発生した。開国後の日本は思想弾圧が激しく幸徳事件などがあり、第二次世界大戦の敗戦後はソ連等による日本兵の死刑もあった。
現代における死刑
概要

現代の一般的な法体系において死刑は最も重い刑罰とされ、極刑とも呼ばれる。非常に重いとされる罪、主に殺人罪に対して科されるのが一般的である[9]

21世紀初頭の時点では、死刑についての世界各国の考え方は様々であり、人類としての合意は存在しない。そのため、死刑存続国と廃止国との間では外国人が死刑になるような事件が起きると外交問題へと発展する事例も増えている[10]。シンガポールではオーストラリア人の麻薬犯罪者に対して一度死刑を執行したが、外交問題に発展し、以降は執行されなくなった。また、死刑判決が下る可能性がある犯罪者が死刑廃止国へ逃亡した場合には、引き渡しを拒否される事例も増えている。
死刑執行が多い国

アムネスティ・インターナショナルによると、2022年の死刑執行数において、イランサウジアラビアを合わせた執行数は世界の全執行数の約87%を占めるという。ただし、この数値は正確な数が不明である中国北朝鮮ベトナムシリアアフガニスタンを含まない。

中米対話基金の報告によると、2021年の中国における死刑執行推定数は少なとも3000人が執行されたという。また、2021年の推定であり年は違うが、推定数を2022年の全世界における死刑執行推定数に含めた場合、全世界で執行された死刑囚の数の約77%が中国となる。また、中国では死刑の執行方法は銃殺と薬殺の2つである。前者は主に殺人や薬物犯罪等の一般犯罪に対して、後者は主に汚職等の経済犯罪を犯した場合に執行されており、現在も銃殺刑が主流である。但し、2020年12月時点で、昆明長沙成都北京深?上海広州南京重慶杭州瀋陽大連鞍山平頂山焦作市武漢黒竜江省ウルムチでは罪種を問わず薬殺刑となっている[11]。また公開処刑は、北京オリンピックを前にして、国際世論、特に死刑制度を廃止している欧州諸国からの批判をかわすため、オリンピック直前に廃止され、行わなわれていない[12]。但し、刑執行直前の死刑囚の様子をテレビで放映したり[12]、公開裁判をスタジアムで行ったりしている[13]

近年では汚職で死刑になることは稀であるが、汚職によって得られた金額の大きさや社会的影響、2012年の第18回共産党大会以降に行われたものも含まれているか(この大会の一中全会で習近平中国共産党中央委員会総書記に選出された。更に、習近平は「大トラもハエも一緒にたたけ」とのスローガンを掲げ、権力闘争の一面があると指摘を受けながらも反腐敗運動を展開している)によって、死刑判決が下されることがある[14]新型コロナウイルス感染症が流行した2020年には、コロナウイルス感染2019対策として実施が予定されていた移動制限の実務担当者2人を殺害した男性に対して、事件発生から半年足らずで死刑を執行させた。なお、最高人民法院より、この男性は過去に暴行の罪で服役し、釈放から5年未満で犯行に及んだことにより死刑判決を下すきっかけにつながったことを発表している[15]

イランは執行件数が第2位であると同時に、人口に対する死刑執行数が第1位であり、執行人数は少なくとも576人である。なお、日本(人口:約1億2400万人)では、2017年には4人、2018年には15人、2019年2021年には3人、2022年には1人対して死刑が執行されており、1972年以降、稲葉修法務大臣就任期間中の1975年1976年鳩山邦夫が法務大臣に就任していた2008年2018年のオウム真理教事件加害者13人の執行を除けば、1桁台で推移している。


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