死体を売る男
The Body Snatcher
ポスター(1945年)
監督ロバート・ワイズ
脚本フィリップ・マクドナルド
ヴァル・リュートン
原作ロバート・ルイス・スティーヴンソン
製作ヴァル・リュートン
出演者ボリス・カーロフ
ベラ・ルゴシ
ヘンリー・ダニエル
エディス・アトウォーター
音楽ロイ・ウェッブ
撮影ロバート・デ・グラス
編集J・R・ウィットレッジ
製作会社 RKO
配給 RKO
公開1945年5月25日
2013年10月28日[1]
上映時間77分
製作国 アメリカ合衆国
言語英語
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『死体を売る男』(したいをうるおとこ、The Body Snatcher)とは、1945年公開のアメリカ合衆国のホラー映画。ロバート・ルイス・スティーヴンソンの短編『死体泥棒』をロバート・ワイズ監督で映画化。製作のヴァル・リュートンは「カーロス・キース」のペンネームで脚本も担当している。「ショック感覚の決定版!」というキャッチコピーで宣伝された。劇中で言及されるバーク、ヘア、ノックス医師は1828年に実際に起きた「バークとヘア連続殺人事件」の主犯たちである。なお、この映画はボリス・カーロフとベラ・ルゴシの最後の共演作でもある[2][3]。
日本では2013年の「エドガー・G・ウルマーとゆかいな仲間たち」で劇場初公開されたが[1][4]、それ以前に『死体を盗む男』のタイトルでテレビ放映[5]、またNECアベニュー からビデオ発売されていた[6]。 19世紀、19世紀エディンバラの医者マクファーレンは病院経営のかたわら、医学生の教育にもあたっていた。そのためには解剖用の死体が必要だが、その当時、死体の売買は非合法で、辻馬車の御者グレイから闇で死体を買っていた。グレイは悪名高いバークとヘアの仲間だった男で、墓から死体を掘り出していたが、マクファーレンはそのことには目をつぶっていた。 ある時、手術のために若い女性の死体が必要になり、グレイに頼む。グレイは少女の死体を持ってきた。それを見てマクファーレンの助手フェッツは驚く。その少女は街頭で歌を唄っている少女で、フェッツは昨晩コインを恵んだばかりだったのだ。 フェッツからグレイが殺人を犯していたことを聞かされ、マクファーレンは動揺するが、隠蔽を決める。その話を盗み聞きした使用人のジョゼフがグレイを脅迫する。しかし、逆にグレイに殺される。 それを知ったマクファーレンはグレイを殺すが、最後は自滅する。 『死体を売る男』はボロス・カーロフがRKOで主演した3本の映画の最初の1本。『吸血鬼ボボラカ』(1945年)、『恐怖の精神病院
あらすじ
キャスト
ジョン・グレイ(死体屋); ボリス・カーロフ
ジョゼフ(マクファーレンの使用人); ベラ・ルゴシ
マクファレン(院長); ヘンリー・ダニエル
メグ; エディス・アトウォーター
フェッツ; ラッセル・ウェイド
マーシュ夫人; リタ・コーディ
ジョージナ・マーシュ; シャリン・モフェット
歌唄いの少女; ドナ・リー
制作
『ロサンゼルス・タイムズ』紙のルイス・バーグによるインタビューで、ユニバーサル・ピクチャーズを離れ、リュートンと組んだことについてカーロフはこんなことを述べている。『フランケンシュタイン』(1931年)の成功以降、ユニバーサル社はその路線を推し進めた。その路線の最終回ともいえる『フランケンシュタインの館』はフランケンシュタインの怪物、ドラキュラ、狼男、せむし男が勢揃いするモンスター・ジャムセッション映画だった。映画はヒットしたが、ばかばかしくなって、ユニバーサルとの契約を更新しないことに決めた。RKOのリュートンはカーロフにとって「リビングデッドから救い出してくれた、いわば、魂を回復させた男」[7]。
制作は『吸血鬼ボボラカ』とほぼ同時期に行われ、リュートンは両方の映画の脚本を担当した。もうひとりの脚本家フィリップ・マクドナルドはイギリス人で、推理作家としても知られている。
カーロフ同様、『魔人ドラキュラ』(1931年)で有名になったユニバーサルのベラ・ルゴシもRKOと契約した。リュートンとマクドナルドは彼のために小さな役を書いた。