死の部隊
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死の部隊(しのぶたい、英語: death squad、スペイン語: escuadrones de la muerte)とは、主に第三世界の各国、特に冷戦時代の中南米で行われていた市民に対する暗殺作戦を実行する白色テログループの総称である[1]。近年では反テロなどを名目としたものも指す。概ね、社会主義や反体制の革命軍赤軍に対するカウンターを目的としている。
概要

多くの場合、アメリカ陸軍米州学校(現・西半球安全保障協力研究所)やイスラエルスペインなどの支援により訓練された、情報機関警察のような国家機関、または自警団などの民兵などにより行われる。軍や警察の関与が証明された場合超法規的処刑などと呼ばれる。狙撃で殺害する場合もあるが誘拐が伴うことも多く、遺体が見つかるまでは強制失踪と呼ばれ(=拉致)、被害者は拷問にかけられることも多い。治安機関によるこれらの人権侵害アルゼンチンのような一部の国を除き、基本的に処罰されない。

アメリカ合衆国などでは「死の部隊は社会秩序を維持するために活動するのでテロリズム組織ではない」「ソ連や社会主義中国の干渉に対する反抗であり自衛戦争」とする主張がみられる。また彼らの標的にはホームレスストリートチルドレンが加わる場合もある。死の部隊は概ね支配層のイデオロギー信仰階層人種などに与しない者に向けられる(ジェノサイドの実行手段の一つである)。

ソ連や中共(中国共産党)が支援する革命軍や人民解放軍労働者階級や、被差別階級の蜂起を狙う場合も多いので、反動派の死の部隊は少数精鋭部隊であることが多い。
中米・カリブ海諸国

中米カリブ海諸国では、米国企業ユナイテッド・フルーツドールデルモンテなどが進出し各社はバナナコーヒー砂糖などのプランテーションを広げており、該当する国はモノカルチャー経済への依存を余儀なくされることが多かった(バナナ共和国)。

中米はクリオーリョ(現地生まれのヨーロッパ人)による独裁政権が多かったが、軍人大統領にはメスティーソもかなりいたので(エルサルバドルのマルティネスなど)、支配層を白人だけとするのはあまり適切ではない。民主化運動からゲリラ闘争まで幅はあるが、各国でそれぞれの動きがあった。運河建設などを図る米英の干渉を受け、戦争や侵略が相次いだ(パナマ運河参照)。時折成立した左派政権等は必ずしも共産主義を掲げなかったがキューバ革命以後、キューバのように武力革命を目指したゲリラが活動するようになると、それに抵抗した政府も反共主義を掲げ、死の部隊の活動が活発化した。ゲリラとの内戦が激化すると、もはや政府は死の部隊に頼らず、政府軍は直接ゲリラと関係ありそうな農村を襲い住民を皆殺しにする作戦(ジェノサイド)にでた。一方でゲリラも政府軍に協力している農村を選択的に襲い、こうした中米の国々の農民は板ばさみになって虐殺された。.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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グアテマラ

グアテマラでは1954年ハコボ・アルベンス・グスマン大統領がユナイテッド・フルーツの土地の有償での接収を決めたことにアメリカ・中央情報局(CIA)が介入し(PBSUCCESS作戦)「共産主義者」とされた約千人が殺害され政権が転覆された。1959年にはCIAがグアテマラ軍の反カストロ軍事訓練を開始するなど軍とCIAの繋がりはあったが、学生運動、農民運動、労働運動から数派のゲリラまで民主化から革命を求める勢力までが多数存在した。

その中で「反ゲリラ活動」として「ラ・マノ・ブランカ」(白い手)などの死の部隊が創設された。


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