歴史地震
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1755年リスボン地震による災禍を伝える銅版画 (en) 挿絵/同年の作。安政の大地震絵図/1855年に発生した安政江戸地震による災禍を伝えている。日本の岩手県宮古市にある大津浪記念碑1933年昭和8年)に発生した昭和三陸地震の教訓を永く後世に伝えるべく同年に建立された災害記念碑

歴史地震(れきしじしん)とは、歴史時代に発生した地震のうち、地震計を始めとする近代的観測機器が存在しなかった時代に属するもので[1]、なおかつ、記録で確かめられるものをいう。それらは、古文書災害記念碑という形で今日まで伝えられてきた。英語には "historical earthquake" という語 (cf. en) があるが、日本語の「歴史地震」よりやや広義かも知れない。

日本語(専門用語)「歴史地震」において定義されている「歴史」は、記録された人間社会の出来事の変遷を指すため、時期的に該当していようとも、伝わっていながら信頼するに足る記録の見当たらないものや、考古学的・地球科学知見遺跡発掘や地質調査を始めとする様々な学問から得られる情報と見解)によってその発生が推測あるいは確認されながら歴史として検証できないものは、歴史地震と見なされない。つまり、確かな記録の残っていることが「歴史地震」の定義上の前提である[2][* 1]

一方、先史時代(記録が残されるようになる以前の時代)に発生した地震は先史地震といい[2][3]地質学的成果や考古学的成果などがこれを証明し得る。なお、日本の歴史では、中央政権の勢力範囲において古墳時代以前を先史時代としているが、地域によって差異が大きく、例えば蝦夷地(北海道)は江戸時代以降に歴史時代が始まる[2][* 2]。日本では1885年明治18年)に地震計を始めとする近代的観測体制の整備が開始されたため、歴史地震は一般的に1884年(明治17年)以前に発生したものを指す[4]。また、先史時代と歴史時代の別無く、さらには、歴史的(歴史学的)検証の有無を問わず、近代的観測機器の登場以前に発生した地震を総じて古地震という[2][5]

歴史地震の調査研究は、将来の発生を想定される地震の予測など、防災上欠かすことのできないもので、巨大地震発生の再来間隔などを論ずる地震学の一分野であり、ある地域の地震災害の正確な評価を行うためには、地震によって開放されるエネルギーを見積もる必要があるが、計器観測が始まって以来の地震のみではデータの蓄積として不充分であり、古地震学の助けを借りる必要性が生じる[6]

歴史地震は歴史研究の一部を担う考古学の知見でもあり、地震考古学の分野も開拓されている[7][8]
古文書の調査

歴史地震の研究は古文書の調査から始まる。古文書は国家の歴史を記した正史から個人の日記など多種多様であり、誤記、誤植、誇張、伝聞によるものなどを含み、その信頼性に疑問点があるものも多く、可能な限り多くの史料を付き合せ、検証する作業が要求される[9][10]。また、偽書も多いが、ある目的に対して偽書であっても、そこに記された事項が全て偽りであるとは限らず、記された天変地異が真実である可能性が否定できない場合もある。天変地異は発生した当時の人々にとっては誤魔化すことができない真実であって、これを記すことにより偽書に真実味を持たせる行為もあり得るからである[11]

戦乱による社会的混乱、火災による焼失、津波による古文書の流失など、地震災害自体が過去の記録の喪失につながる場合も少なくない。例えば房総沖における慶長津波の記録が少ないのは、その後のより甚大な元禄地震津波で失われた可能性があるとされる[12]。また、宝永地震津波により、尾鷲や土佐久礼八幡宮でも古記録が流失し、これ以前の歴史は不明な点が多い[13][14][15]
記録欠落期間の問題

今村明恒は、日本の地震活動は、684-887年、1586-1707年、1847年以降が旺盛期であり、貞観津波など特に規模が雄大であったものはこの時期に発生していると述べている[16]

しかし、各時代の記録密度が均質とは言えず、時代による記録の多寡は見かけ上のものであり、人為的な影響である可能性もある[17]。地震記録が多くみられる684-887年は、六国史が編纂された時代に相当し、六国史には天人相関思想を反映して天変地異が好んで多く収録された背景がある。887年以降は地震の記録量が急速に減少するが、記録欠落期間として認識する必要があり[10][18]、室町時代から江戸時代初期の検地刀狩でそれ以前の地方文書が回収・処分されたらしいことも影響している[19]

また、記録の地域差も大きく、京都、鎌倉以外の地方は中世以前の記録の現存自体が稀であり、地震の史料集として活用されている武者史料[20]や新収史料[21]などは、ただでさえ不完全な日本の歴史記録の一部分を抜書きしたものに過ぎない点を認識しておく必要がある[10]

例えば伊勢原断層の調査の結果、その活動時期は平安時代から江戸時代初期という1000年もの幅を持った推定であったが、その地震が日本三代実録に記録された878年相模・武蔵地震に対比されたことがある[22]。しかし、この活動時期には江戸時代以前の大幅な記録欠落期間が含まれ、記録に漏れた大地震である可能性も否定はできない[10]
発震時刻

現代のように時計を持たず厳密な時刻を求めない時代では、発震時刻や地震動の継続時間は記憶や感覚に頼る部分が多く、江戸時代以前の日本のような干支で表現した時刻では分解能が低く、2時間程度の不確定性を含むものとなる。不定時法では日の入、日の出の時刻とその前後の薄明により一時の時間も定時法とは異なり、また標準時の概念が存在しなかった時代ゆえに、現代の時刻に換算するには緯度経度を考慮する必要が生じる。近世以前では1日の境が厳密に定められていたわけではなく、平安時代には刻と刻の間(3時頃)を1日の境界としていた[23]

またしばしば、半時、あるいは数刻といった、現代の観測からは信じにくい、1 - 2時間も地震動が継続したような表現が記録にある。これは大地震による恐怖感が誇張的な表現を生んだとする見方もあるが、2011年の東北地方太平洋沖地震でも観測されたように強い揺れが数分間継続した本震発生以降、数十分間強い余震が続発し、直後の余震活動をも含めた時間を表しているとも考えられる[24]
暦・日付
太陰暦と太陽暦

世界基準の存在しない時代ゆえ、通常、古記録は国・地域ごとに異なる個別の年号でもって記されている。

日本・朝鮮中国の場合、元号の成立以前の時代には、時の為政者(※少なくとも改暦改元の権能者)の治世の何年目かという記述法が採用され、元号の成立以降の時代には、その元号における何年目かという記述法が採用されている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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