歴史修正主義
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この項目では、歴史学全般について説明しています。マルクス主義における修正主義については「修正主義」をご覧ください。

歴史学において歴史修正主義(れきししゅうせいしゅぎ、: historical revisionism)とは、歴史の再定義や再解釈の言説を指す用語である。一般に否定的・批判的な意味合いを込めて使用されることが多く、特に第二次世界大戦に関わる戦争犯罪戦争責任に関わる議論で、それを否定または相対化する言説を指して歴史修正主義という用語が使用される。

確立された歴史を「修正」することそれ自体は歴史の記述を発展させ洗練させるための一般的なプロセスであり、特に議論を呼ぶものではない[1]。しかし、主流の歴史家が(例えば)正の力と捉えていたものが負の力として描かれるような、道徳的知見の逆転を含む議論は遥かに物議を呼ぶ。このような修正は、主流の見解の支持者から(特に激しい言葉で)異議を唱えられる。そして不適切な方法を用い、あるいは最初から事実と異なる言説を広めること、ジェノサイドの否定などを目的とする場合には、特に批判の対象とされる。欧米圏においてはホロコースト否認に代表されるような事実と異なる歴史像を広めることを意図して史実を否定する言説は「歴史修正主義」ではなく「否定論(denial)」と呼ぶようになっており[2]、西欧ではこの種の言説に法的規制を設定し違法化している国が複数ある[3]

日本語の「歴史修正主義」という用語は翻訳語であるが[4]、欧米圏におけるHistorical revisionismよりも広く、曖昧な意味合いで使用され、単なる歴史の再解釈や俗説を指す場合もある[5]
語義

「歴史修正主義」は歴史的事実の全面的な否定や意図的な矮小化あるいは特定の側面のみの誇張、政治的な意図を持った歴史の書き換えなどを指して否定的な意味合いで用いられる用語である[6][7]

歴史学の成果を無視した歴史の「修正」の問題は20世紀後半以降、とりわけナチス・ドイツによって行われたユダヤ人虐殺の否定(ホロコースト否定)や矮小化、第二次世界大戦戦争責任論に関連している[6][4][7]。ホロコースト否定論者の中には自ら「歴史修正主義者」を名乗って宣伝活動を行う者もいるが[8]、欧米においてはこの種の、最初から事実と異なる歴史像を広めることを意図して史実を否定する言説は「歴史修正主義」ではなく「否定論(denial)」と呼ぶようになっている[2]。そして否定論の論陣をはる人は「否定論者(denier)」と呼ばれる[2]。しかし、日本語では「歴史修正主義」と「否定論」は明確に区別されておらず、「歴史修正主義」という用語は両者を含んだ広い意味合いで使用されている[9]

このナチズムに関わる「歴史修正主義」の論理・心性が日本の戦争責任論における否定論と類似すると見られることから[10]、日本近現代史においては戦時中の日本軍の行為、いわゆる南京事件(南京大虐殺)の否定や従軍慰安婦を自発的な売春婦と見なす観点を指して「歴史修正主義」という用語が用いられる[6][7]。ただし、これらは欧米社会がホロコーストに当てはめる基準においては明確に否定論の分類に入る[5]。日本語の「歴史修正主義」という用語はさらに広く曖昧な意味でも用いられ、学術的な再検証や単なる根拠の乏しい歴史の俗説を含むこともある[5]

これらと同様の歴史の否認メカニズムはオスマン帝国におけるアルメニア人虐殺を巡る議論やユーゴスラヴィア内戦におけるセルビアクロアチア双方の主張に見られることが指摘されており、第二次世界大戦におけるドイツや日本に関連する言説だけに留まらない普遍的な主題とされる[10]
用語の成立

日本語の「歴史修正主義(英語:historical revisionism、独語:Geschichtsrevisionismus)」という用語は翻訳語である[4]。「修正」という用語が明確に政治的な意味合いを帯びて登場したのは19世紀末のフランスで発生したドレフュス事件である[11]。フランスの歴史学者ヴィダル=ナケは、ユダヤ系軍人ドレフュスの冤罪を巡る裁判の後まとめられた『ドレフュス事件史』に対して、ドレフュスの有罪を主張する右派団体の構成員が、ドレフュスの有罪を立証するために虚偽を入り交ぜた「事実」をまとめた本を『ドレフュス事件史』の「修正版」と銘打って出版した事例を「歴史の否定という意味での歴史修正主義の『文学的起源』としている」[12][13]

次いで「修正主義」という用語がイデオロギー的な派閥を指す用語として用いられたのは社会主義運動の中における議論と権力闘争におけるレッテルとしてであった[14][4]。19世紀末、カール・マルクスの理論に基づき、階級闘争が激化し自然にブルジョワ社会が崩壊して革命に至るという理論を支持する社会主義者の主流派は、現実の状況がこれに合致していないとして理論の修正や改良を迫る者を侮蔑的な意味合いをこめて「修正主義者」と呼んだ[15]。20世紀においてもトロツキースターリンが相手を修正主義者と批判し合ったのを始め、共産主義国家や国際共産主義運動内部における政治的な非難の言葉として「修正主義」が用いられた[16]

岩崎稔/シュテフィ・リヒターによれば、社会主義運動におけるレッテルとして使用されていた「修正主義」という用語が「歴史の解釈をめぐって用いられるようになったのは、厳密に言えば、ナチスドイツの行った行為をヨーロッパ現代史のなかでどのように理解するのかという点で、テイラーフィッシャーが1960年代に引き起こした論争的な議論に端緒を発している。」[4][注釈 1]
歴史学における「修正」と「歴史修正主義」

歴史学において既存の歴史を「修正」することそれ自体は学術的な営みであり特異なものとはみなされない。新たな史料、視点、解釈など様々な要素によって研究者たちは常に歴史を更新し続けている。しかし、その中である種の特徴を持つ言説は特に「歴史修正主義」として分類され、多くの場合は非難の対象となる。

近代的な意味での歴史学は概ね19世紀頃に確立された。近代実証史学、あるいは近代歴史学の父と呼ばれるレオポルド・ランケは個人の主観を排して「それが実際にいかにあったか(wie es eigentlich gewesen ist)」のみを語るという有名なフレーズを書き残している[18][19]。これはフィクションや理念から始まって哲学を語るのではなく、事実のみを集めた実証的・客観的な歴史を再構築するという実証史学の立場を端的に表す表現である。しかし、歴史的「事実」は常に過去のものであり物理的に存在していない。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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