歴史上の推定都市人口
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歴史上の推定都市人口(れきしじょうのすいていとしじんこう)は、世界史上の主要都市・都市域・都市圏人口の変遷を推定したものである。

世界史上の地域別人口の推定に関しては、歴史上の推定地域人口を参照。

近代以前の日本の都市人口統計と推定人口に関しては近代以前の日本の都市人口統計を参照。

方法論

都市・都市域・都市圏の定義は様々であり、行政的に認知された区域、城壁などによって囲まれた領域、人工的建造物が連続して存在する地域通勤圏を初めとする経済地域など、定義次第で対象となる地域が変わってしまう。ましてや過去の都市の人口ともなると、文献上人口統計(センサス)が残っている方が稀である。残っている統計も、戸数、世帯数、成人男性数など様々な形態があり、単純に文献値を参考にするわけにはいかない。
センサス人口

センサスとは国勢把握を対象とする数値調査(国勢調査)のことで、古代ローマでケンソル(censor、監察官)によって行われた人口登録調査ケンスス(census)がその語源である。ローマ市民権を持つ成人男性の人口はリウィウスの『ローマ建国史』などに断片が伝わるが、数字の多くは概数である。国家や指導者が租税や国勢の把握のためにセンサスを実施した例は、『旧約聖書』の「民数記」はじめ様々な記録に残っているが、充分信頼に足る調査を行った例は稀で、現存する記録も限られている。

今日においてもある程度数字が信頼に足ると考えられている最古のセンサスは、紀元2年冬に前漢で実施されたもので、『漢書』によると戸数1223万3062戸・人口5959万4978人を数えたが、これは国家が租税対象として把握できた人数で、実際の人口はこれよりも少し多いと考えられる。

また古文書には人口に関する多くの間接的な情報(成人男性人口、自由人人口、奴隷人口、兵士人口、世帯数、家屋数、洗礼を受けた子供の数、天災・戦役・疫病などによる死亡者数、都市規模に関する伝聞など)が残っているが、これらは往々にして大げさに伝わる傾向があり、その解釈には注意を要する。
遺跡の面積・人口密度

多くの場合、人口を知る上で信用に足る過去の数値や記述が残っていないため、遺跡の面積と人口密度から都市の人口を推定する方法が用いられる。建造物の種類により人口密度は変化するが、古代においては1ヘクタールあたり100人から250人程度と推定される。人口密度は、時代が下るにつれ過密となる。

メソポタミア文明インダス文明黄河文明、そして中世ヨーロッパイスラム教伝播以降の中東の大都市は、城壁に囲まれていたため、人口密度に基づく人口算出を比較的容易かつ良好に適用することができる。しかしながら、古代エジプトエーゲ文明、そして日本の諸都市など、世界には城壁を作らなかった都市の例の方が多い。
ランク=サイズ・ルール

ある地域において都市規模を人口順に並べると、ジップの法則に従う(順位と人口の両対数プロットにおいて一次の相関が見られる)という主張があり、これを順位・規模法則(ランク=サイズ・ルール、rank-size rule)と呼ぶ。遺跡が破壊されていて特定の時代の都市の広がりが推定できない場合にしばしば用いられる。
その他

都市周囲の生産力から養える人口が推定できる。また都市の中の特殊建造物(神殿や教会などの宗教施設)の数から人口を推定できる場合もある。
推定人口の出典

各年代ごとの推定都市人口を出典とともに表にまとめるが、特に以下の4つの資料に関しては省略語で出典を示す。
Ian Morris (2010年) [IM]

イアン・モリス (Ian Morris)著『Why the west rules?for now』。但しここでは本著の補足としてpdfの形でウェブ上で公表されている、 ⇒Ian Morris, Social Development, Stanford University, October 2010.の数字を示す。人口は行政上の市域人口ではなく、都市的地域に対応する。東洋・西洋でそれぞれ最多の人口を有すると推測される都市の人口のみが算出されている。
George Modelski (2003年) [GM]

ジョージ・モデルスキー (George Modelski)著『World Cities: ?3000 to 2000』。人口は行政上の市域人口ではなく、都市的地域に対応する。全般的にChandlerの推定値よりも信頼性が高いが、紀元1000年以降の都市に関してはあまり推定人口を算出していない。
Tertius Chandler (1987年) [TC]

ターシャス・チャンドラー (Tertius Chandler)著『Four Thousand Years of Urban Growth: An Historical Census』。人口は行政上の市域人口ではなく、建物が連続的に存在する都市的地域に対応する。歴史上の全世界の都市約2,500箇所について推定人口を算出している。
Paul Bairoch (1988年) [PA]

ポール・ベロック (Paul Bairoch), ジャン・バトゥー (Jean Batou), ピエール・シェーヴル (Pierre Chevre)著『La Population des Villes Europeennes, 800?1850: Banque de donnees et analyse sommaire des resultats』。人口は行政上の市域人口ではなく、建物が連続的に存在する都市的地域に対応する。中世から近代までのヨーロッパの都市約2,000箇所について推定人口を算出している。

他の資料に関しては、適時脚注に出典を示す。それぞれの都市の呼称は一般的なものを採用し、必ずしも時代的な呼称の変遷を反映していない。
主要都市の推定人口変遷

イアン・モリス (IM: 紀元前8000年以降)、ジョージ・モデルスキー (GM: 紀元前3700年以降)、ターシャス・チャンドラー (TC: 紀元前3200年以降) の推定人口において、同年に最大値を示す都市人口[注釈 1]は太字の数字で示す。
紀元前8000年 - 紀元前3000年イアン・モリス (IM) は、紀元前8000, 7000, 6000, 5000, 4000, 3500, 3000年に関して東西最多の人口を有する都市の都市人口を推定している。ジョージ・モデルスキー (GM) は紀元前3700, 3500, 3300, 3000年に関して人口1万人以上[注釈 2]の都市の都市人口を推定している。

都市・遺跡名現在の国名出典?8000?7000?6500?6000?5000?4000?3700?3500?3300?3000
ヒエラコンポリス (ネケン)エジプトGM(?3400)
5,000?
10,000
アビュドスTC(?3200)
20,000
メンフィスTC(?3100)
20,00030,000
ドブロヴォディ[注釈 3]ウクライナGM<10,000
タリャンキ[注釈 3]GM<10,000
[1]14,000
マイダネツ[注釈 3]GM<10,000
[1]8,000
チャタル・ヒュユクトルコIM1,0003,000
GM5,000?
10,000
[2]1,500?
2,0001,500?
2,000
イェリコ[注釈 4][注釈 5]パレスチナGM1,000?
2,000
[3]225?
735225?
735
ベイダ[注釈 6][注釈 5]ヨルダンIM1,000
バスタ[注釈 7][注釈 5]IM1,000
[3]1,260?
4,1161,260?
4,116
アイン・ガザル[注釈 5][3]405?
1,323900?
2,9401,080?
3,528
ムレイベット[注釈 8]シリアIM500
ハブバ・カビラ[注釈 9]GM(?3100)
6,000?
8,000
テル・アブ・フレイラ[注釈 10][4]5,000?
6,0005,000?
6,000
ナガル (テル・ブラク)IM4,0005,0008,000
GM20,000
シッパルイラクGM<10,000


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