歯車式計算機
[Wikipedia|▼Menu]

機械式計算機 (きかいしきけいさんき。mechanical calculator 乃至は mechanical calculating machine 等)は、歯車などの機械要素により計算を行う計算機である。以下、この記事ではディジタルな、すなわち計数的、離散的に演算を行うものについて述べる。計量的、連続的な物理量などによる機械式アナログ計算機については、アナログ計算機の記事を参照のこと[注 1]
目次

1 概史

2 シッカートの計算機

3 パスカルの計算機

4 ライプニッツの計算機

5 アリスモメーター

6 オドネルの計算機

7 矢頭良一の自働算盤

8 タイガー計算器

9 加算機

9.1 コンプトメーター

9.2 バロースの加算機


10 脚注

10.1 注釈

10.2 出典


11 関連項目

12 外部リンク

概史

一般に、この種類の試みの初期のものとしては、ヨーロッパで17世紀にシッカート、パスカル、ライプニッツらが設計・制作したものが挙げられていることが多い。その後、18世紀末ごろまで散発的に研究や開発は行われ、19世紀には大量生産され普及がはじまった。19世紀前半にフランスのシャルル・グザビエ・トマ・ド・コルマが開発し小規模ながら販売しつづけたアリスモメーターが、19世紀後半にはその改良型が普及した。さらにそれに続くスウェーデンのオドネル(オドナー)による設計は完成度が高く、またその設計を広めたことで同型機や改良機が多数生産された。日本において広まった「タイガー計算器」の基本構造もオドネルのそれに近いものである。

機械式計算機は、たとえば国家統計などの現場、会社の経理部、会計士や税理士、計算の仕事が多い業種の商店や個人事業主、具体的な数値計算の仕事が多い設計技師、エンジニア、理工や人文[注 2]の研究者 等々等々によって、20世紀後半まで日常的に盛んに用いられた。日本でも昭和時代の前半?なかばごろはさかんに用いられており、各家庭に普及するほどではなかったにしても、一般的なオフィスなど、日常でも見かけられるものであった。

機械式計算機において加減算は比較的単純でありコンプトメーターのようにボタンを押す操作だけで計算ができるものもある。一方で、多数桁の乗除算は比較的複雑でシフト操作と加減算の繰り返しが必要である。特に除算は「足し戻し法」や「引きっ放し法」と呼ばれるような、ある種のアルゴリズムとしての名前があるほどであって手動操作ではそれなりの複雑さと時間を要し、最上位からの繰り上がり・最上位への桁借りの発生時にベルが鳴る機種があるのはその補助のためである。乗除算のコストは動力化による自動化の強い動機であると言え、20世紀に開発された、主として電動の機械式計算機ではその操作が自動化されている。より野心的な事例としては19世紀に、蒸気機関を動力源として想定していたと思われる、バベッジ階差機関解析機関があり、特に後者は理論的にみて現代のコンピュータへの方向性を持っていたが、当時は前者の部分的実現にとどまった。

自動化という点ではそういった、動力で駆動される機械式計算機は、手動操作の計算機と現代のコンピュータの間にある。そして、19世紀末から実用化がされはじめた、電話の自動交換機に使われたステッピングスイッチ(en:Stepping switch)やリレーといった電気部品は、機械的な動作をともなうものの、電気によって情報を扱うというコンピュータの原理はそこから始まっている。そういった電気回路とスイッチの働きについては、1930年代?1940年代に、日本の中嶋章[1]や米国のクロード・シャノンによってブール論理との対応付けが理論化された。

1940年代の大型の計算機械である Harvard Mark I には、計算のための要素としての歯車の使用が残っているという点で、機械式計算機としての部分がまだ残っている。一方、小型の(機能的には電卓程度の)計算機であるが、1954年のカシオ「14-A」ないしその研究開発過程の計算機について同社が「純電気式」という表現を使っているのは、リレーという機械動作する部品を使ってはいるものの、歯車のような部品は計算要素としては使っていない、という意図である。戦後から1950年代のコンピュータの黎明期には、日本での例を挙げると、電気試験所の ETL Mark I と Mark II や富士通の FACOM の100番台など、リレーによる大規模な自動計算機の例もあるが、真空管トランジスタによる機械的な動作を全く含まない「電子的」なコンピュータがほとんどの面で優位であってそれらに時代は進んで行き、それはもうこの記事に書く範囲ではない。

当初は大きく高価であったコンピュータであるが、数十人の計算手によって機械式計算機と途中経過の筆記によって行われていたような大規模な計算はコンピュータに置き換えられていった。徐々にコンピュータの小型化や低廉化も進んでいったが、機械式計算機の終息について決定的だったのは、集積回路による圧倒的な小型化と省電力化によって発達した電卓である。操作が容易で演算が速い電卓が安価になり普及しはじめたことで、日常的な計算業務のほうもそちらで行われるようになっていったのは影響が大きく、機械式計算機は急に売れなくなり、電卓に置き換えられるようにして現場から次第に姿を消していった。[注 3]
シッカートの計算機 Calculating Clock

テュービンゲン大学ヘブライ語教授であったヴィルヘルム・シッカート1623年に発明した機械式計算機。Calculating Clock と呼ばれた。後述するパスカル、ライプニッツの計算機よりも機能は少ないが、20年先行している。この計算機は、6桁の加減算およびオーバーフローの検出、複数のネピアの骨を使った乗算が可能であった。デザインは20世紀まで失われていたが、1960年にレプリカが作られた。シッカートがヨハネス・ケプラーにあてた手紙には、天体計算(astronomical tables)への利用方法が記されている。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:29 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef