歩兵第230連隊
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歩兵第230連隊
創設
1939年
廃止1945年
所属政体 日本
所属組織 大日本帝国陸軍
部隊編制単位連隊
兵科歩兵
編成地静岡
通称号/略称隆8926
上級単位第38師団
最終上級単位独立混成第40旅団
最終位置ニューアイルランド島
主な戦歴第二次世界大戦
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歩兵第230連隊(ほへいだい230れんたい、歩兵第二百三十聯隊)は、静岡で編成された大日本帝国陸軍連隊のひとつ。
目次

1 沿革

2 歴代連隊長

3 参考文献

4 関連項目

沿革

連隊主力は静岡県内で、第3大隊は岐阜で編成され、編成後第38師団隷下となり広東に派遣され、1941年(昭和16年)末まで同地の警備に当たる。

太平洋戦争勃発により香港攻略戦に参加。香港占領後、兵力を整備して1942年(昭和17年)1月19日に香港を出港。仏印カムラン湾に入港し、シンガポール陥落後の第16軍(司令官:今村均中将)の指揮下に入り蘭印(インドネシア)攻略に参加した。連隊主力はジャワ、第3大隊はスマトラ島パレンバンに上陸し、予想以上の速さで蘭印攻略作戦を完了する。

1942年10月、ラバウルに進出した連隊は、一木支隊、川口支隊に続くガダルカナル奪回部隊の第3陣として、第2師団の指揮下に入る。

1942年10月15日夜、ガダルカナル島西海岸のタサファロングに上陸。上陸地点から東海岸のルンガ飛行場までの86キロを工兵隊が切り開き、川口支隊(第35旅団司令部および歩兵第124連隊基幹)長・川口清健少将指揮の下、“血染めの丘”正面の米軍攻撃を企図。しかし、連隊もルンガ飛行場への進出が遅れ、川口少将は大本営派遣作戦参謀辻政信中佐により罷免。以後、連隊長・東海林俊成大佐が指揮をした。

1942年10月24日、予定より5日遅れてルンガ飛行場への総攻撃が開始された。連隊は右翼に位置していたが、この日に米軍陣地に突入できず、更に第2師団の攻撃も振るわず後退。翌25日、再び夜襲を敢行したが、米軍の猛烈な集中砲火を浴びて死傷者が続出し、攻撃は失敗。連夜の攻撃頓挫により連隊は撤退を余儀なくされた。

第38師団と共にラバウルに残っていた第2大隊が1942年11月、ガダルカナル島を目指したが途中で輸送船の多くが撃沈され、師団主力は海没。奇跡的に第2大隊は上陸に成功し、独立混成第40旅団に編入される。しかし、将兵は飢えと病気で戦死するより病死・餓死するほうが多かった。

1943年(昭和18年)1月、ガダルカナル島からブーゲンビル島へ撤退。その後、ラバウル、ニューアイルランド島と転戦し、同地で終戦を迎えた。

1946年(昭和21年)5月、復員完了。
歴代連隊長

歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍
大佐)代氏名在任期間備考
1滝本一麿1939.8.1 -
2東海林俊成1941.4.1 -
末久重和吉1943.3.23 -

参考文献

『日本陸軍連隊総覧 歩兵編 (別冊歴史読本)』
新人物往来社、1990年。

秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。

関連項目

大日本帝国陸軍連隊一覧


更新日時:2018年2月1日(木)00:05
取得日時:2020/01/07 11:15


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