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出典検索?: "武都郡"
中国地名の変遷
建置漢代
使用状況唐代に廃止
前漢武都郡
新楽平郡
後漢武都郡
三国武都郡
西晋武都郡
東晋十六国武都郡
南北朝武都郡
永都郡
武州
隋武州
武都郡
唐武州
武都郡
武州
武都郡(ぶと-ぐん)はかつて中国に存在した郡。漢代から北魏まで置かれた涼州系武都郡と、北魏から隋代にかけて置かれた岐州武都郡がある。 戸数:51376、人口:235561、領県:9 武都の地には?族や羌族・?為族・??族・越?族といった諸族が雑居しており、その習俗はだいたい巴族や蜀族と同じである。 王莽が今までの郡県名を改名したため、武都郡は楽平郡となり、領県も以下のようになる。 戸数:20102、人口:81728、城数:7 戸数:3000、統県:5 北魏の時代になると、武都郡は南秦州に属す。領県:4 西魏が武州に設置。戸数:10780、統県:7 武徳元年(618年)、武州が設置されると、将利・建威・覆津・盤堤の4県を領した。 乾元元年(758年)、ふたたび武州となる。 岐州武都郡は北魏の太延年間(435年 - 440年)に設置される。領県:3 西魏の時代に洛邑県と改め、北周は朔州を置いた。
涼州系武都郡
前漢
武都県
上禄県
故道県
河池県
沮県
平楽道
嘉陵道
循成道
下辨道
新
武都県→循虜県
上禄県
故道県→善治県
河池県→楽平亭
沮県
平楽道
嘉陵道
循成道
下辨道→楊徳県
後漢
下辨県
武都県
上禄県
故道県
河池県
沮県
羌道県
西晋
下辨県
河池県
沮県
武都県
故道県
北魏
石門県…郡治。太平真君9年(448年)に設置。羌道城がある。
白水県…太平真君9年(448年)に白水郡を置いたが、後に白水県とする。
東平県…太平真君(440年 - 451年)の末年に設置。
孔提県
西魏?隋
将利県(旧:石門県)…西魏が安育県と改め、北周が将利県と改める。武都郡に置き、後に改めて永都郡とした。開皇(581年 - 600年)の初めに郡を廃したが、大業(605年 - 618年)の初めに武都郡を置く。
建威県(旧:白水県)…北魏が粟邑県を白水県と改め、武都郡に属させた。西魏はふたたび郡を立て、改めて綏戎郡とした。北周は郡を廃し、改めて建威県とする。
覆津県…北魏で初め翫当県といい、武街郡を置いた。西魏は覆津県を設置して万郡に置くと、赤万・接難・五部の3県を統べる。北周は一郡三県を翫当県とした。開皇(581年 - 600年)の初めに武街郡が廃される。
盤堤県…西魏が設置。南五部県といい、後に改名する。
長松県…西魏が設置。初めは建昌県といい、のちに文州及び葭蘆郡を置く。開皇(581年 - 600年)の初めに郡を廃し、開皇18年(598年)に県を長松と改め、大業(605年 - 618年)の初めに州を廃す。
曲水県…西魏が設置。
正西県…西魏が設置。
唐
岐州武都郡
平陽県…太平真君6年(445年)に設置。新谷・五丈原・?塢がある。
南田県
高車県
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