武豊
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この項目では、日本の競馬騎手の武豊(たけ ゆたか)について説明しています。その他の用法については「武豊 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

武豊
2023年大阪杯
基本情報
国籍 日本
出身地滋賀県栗太郡栗東町
(現・栗東市
生年月日 (1969-03-15) 1969年3月15日(55歳)
京都府京都市伏見区
身長170 cm[1]
体重50 kg[1]
血液型O型[1]
騎手情報
所属団体JRA・栗東トレーニングセンター[1]
所属厩舎武田作十郎厩舎(1987年 - 1992年2月29日)
→フリー(1992年3月1日 - )[2]
初免許年1987年3月1日
免許区分平地[3]
重賞勝利501勝(中央360勝、地方121勝、海外26勝)
G1級勝利124勝(中央81勝、地方33勝、海外10勝)
通算勝利24548戦4500勝(中央)
917戦207勝(地方)
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武 豊 (たけ ゆたか、1969年昭和44年)3月15日[1] - )は、日本中央競馬会(JRA)の騎手栗東トレーニングセンター所属で現在はフリー。日本騎手クラブ会長(2010年?)。父は元騎手・元調教師武邦彦で、弟に元騎手で現調教師の武幸四郎がいる。

デビューの年に新人最多勝記録(当時)を更新し2年目の菊花賞でGIを制覇。3年目で全国リーディングを獲得。その後も活躍を続けJRA全国リーディングジョッキーは18回獲得(歴代最多)し[4]騎手大賞は9回獲得(歴代最多)[4]。通算GI勝利数は地方、海外含めて100勝以上を記録(歴代最多)[5]。その他にも通算4000勝を超えるJRA歴代最多勝記録[4]、および歴代最多騎乗数記録[6]東京優駿最多の6勝を挙げるなど数々のJRA記録を更新、保持し「日本競馬界のレジェンド」と称されているほどの[7]日本を代表する騎手である[8]
来歴

祖先は薩摩国出身の武家であり、薩摩藩士の園田家から武家へ養子に入った曽祖父の彦七は函館大経の門下生となる[9]。祖父芳彦は馬主協会元会長[9]。父邦彦は元騎手・元調教師であり、弟幸四郎もJRA所属の元騎手(1997年3月?2017年2月)・現調教師(2017年3月?)である[10]。妻は元タレントの佐野量子[11]。小中学校時代の同級生に調教師の池江泰寿がいる[12]
少年時代

1969年、父邦彦、母洋子夫妻の三男として京都府に生まれた[13]。翌1970年、武一家は現在の栗東市栗東トレーニングセンターに転居した[注 1][13]。住まいのそばに厩舎があるため、厩舎にいる馬にニンジンを与えてから出かけるのが武の日課になっていた[注 2][15]。物心つく前から身近な環境で馬と暮らしていたこと、また騎手だった父の姿を見ていたことが影響し、武は物心ついたころには「騎手になりたい」という思いが芽生えていたという[15]1975年栗東町立金勝小学校に入学[13]。このころから競馬が大好きで、同級生の池江泰寿と学校で競馬の話ばかりしていた[16]。小学校2年生の時にはすでに東京優駿(日本ダービー)が特別な競走であることを理解しており[13]、将来騎手となって日本ダービーを勝つことを夢見るようになっていた[17]。1979年小学校5年生の時、栗東乗馬苑の少年団の一員となり、本格的に乗馬を習い始めた[13]。当時指導員だった竹之下満義は武の騎乗について次のように回顧している。「すごくバランスが良くて馬上での据わりが普通の子と全く違った。とにかく動きが柔らかく、他の人が敬遠するような癖のある馬に乗っても全然バウンドしないしコースを綺麗に回ってくる。馬も彼が乗ると嫌がらないんです。馬が暴れても鞭を使わずになだめて御していました。将来絶対トップジョッキーになると思いました」[13]1981年春、卒業文集に「将来の夢は騎手」と記し、金勝小学校を卒業[13]。そして栗東中学校に入学し、中学生になっても相変わらず乗馬苑に通い、乗馬を続けていた[13]1984年春、騎手課程第3期生としてJRA競馬学校に入学[13]。同期には蛯名正義塩村克己芹沢純一などがいる[18]。当時教官だった荻野忠二、真家眞らは武の馬乗りの技術は入学当初から高かったと話している[注 3][15]。空き時間になると、撮影された自分や他生徒の騎乗映像をよく再生して研究していたという[13]。またアメリカの競馬雑誌、ブラッドホースの写真を食い入るように見ていたり、クリス・マッキャロンゲイリー・スティーヴンスといったアメリカの一流騎手が叩き合う映像を、ワクワクしながら何度もリピートしたりと[15]、アメリカの競馬に憧れを抱くようになっていた[19]。2年生の10月、騎手デビュー後に所属する栗東・武田作十郎厩舎の実習生となり、3年生の9月まで実習を行った[15]。武は実技はもちろん馬学などの成績もよく、学年トップで競馬学校を卒業した[13]
騎手時代
新人最多勝記録を更新する


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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