武藤章生
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むとう しょうせい
武藤 章生
1956年
本名武藤 章生
(むとう あきお)
生年月日 (1935-10-20) 1935年10月20日
没年月日 (1995-11-05) 1995年11月5日(60歳没)
出身地 日本愛知県名古屋市
民族日本人
職業俳優
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武藤 章生(むとう しょうせい、1935年10月20日[1][2] - 1995年11月5日[2])は、日本俳優。本名:武藤 章生[1](むとう あきお)[2]

愛知県[1]名古屋市熱田区市場町出身[2]愛知県立瑞陵高等学校[2]専修大学[1]卒業。石原プロモーションを経て、大鷲プロに所属していた[1]
来歴・人物

1950年代から60年代にかけては日活の専属脇役として数々の映画に出演し、1970年代からはテレビドラマを中心に活躍。

日活時代に共演した石原裕次郎の信任のもと、『大都会』『西部警察』など石原プロモーション制作の刑事ドラマシリーズに準レギュラーとして継続出演した。

1995年11月5日死去。60歳没[2]

特技は名古屋弁[1]関西弁[1]
出演
映画

力道山物語 怒涛の男(1955年、
日活[注釈 1]

あした来る人(1955年、日活

沖繩の民(1956年、日活)

孤獨の人(1957年、日活) - 矢津

ジャズ娘誕生 (1957年、日活)

幕末太陽傳(1957年、日活)

夫婦百景(1958年、日活)

東京のバスガール(1958年、日活)

完全な遊戯(1958年、日活)

今日に生きる(1959年、日活)

海底から来た女(1959年、日活)

天と地を駈ける男(1959年、日活)

青年の樹(1960年、日活)

鉄火場の風(1960年、日活)

喧嘩太郎(1960年、日活)

邪魔者は消せ (1960年、日活)

男の怒りをぶちまけろ(1960年、日活)

幌馬車は行く(1960年、日活)

街から街へつむじ風(1961年、日活)

あいつと私(1961年、日活)

太陽は狂ってる(1961年、日活)

街に気球があがる時(1961年、日活)- 栗山

男と男の生きる街 (1962年、日活)

渡り鳥故郷へ帰る(1962年、日活)

男の紋章(1963年、日活)

関東遊侠伝(1963年、日活)

海賊船 海の虎(1964年、日活)

河内ぞろ 喧嘩軍鶏 (1964年、日活)

太陽西から昇る (1964年、日活)

真紅な海が呼んでるぜ(1965年、日活)

泣かせるぜ(1965年、日活)

日本列島(1965年、日活)

赤い谷間の決斗(1965年)

栄光への挑戦(1966年、日活)

錆びたペンダント(1967年、日活)

関東も広うござんす(1967年、日活)

遊侠三国志 鉄火の花道 (1968年、日活)

 忘れるものか(1968年 日活)

黒部の太陽(1968年、日活)

無頼 殺せ(1969年、日活)

栄光への5000キロ(1969年、石原プロ

大幹部 殴り込み(1969年、日活)

喧嘩博徒 地獄の花道(1969年、日活)

富士山頂(1970年、日活)

トラ・トラ・トラ!(1970年、20世紀フォックス

男の世界(1971年、日活)

関東流れ者(1971年、日活)

関東幹部会(1971年、日活)

まむしの兄弟 お礼参り(1971年、東映

地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン(1972年、東宝) - 編集長[3]

剣と花 (1972年、松竹)

影狩り(1972年、東宝)

花と龍 青雲篇 愛憎篇 怒濤篇(1973年、松竹

反逆の報酬(1973年、東宝 / 石原プロ)

宮本武蔵(1973年、松竹)

人間革命(1973年、東宝)

日本侠花伝(1973年、東宝)

ダメおやじ(1973年、松竹)

ザ・ゴキブリ(1973年、東宝)

ノストラダムスの大予言(1974年、東宝) - 井原[3]

告訴せず(1975年、東宝)

青春の門(1975年、東宝)

東京湾炎上(1975年、東宝) - テレビ局技師[4]

不連続殺人事件(1977年、ATG

トラック野郎・男一匹桃次郎(1977年、東映) - 関東無宿

二百三高地(1980年、東映)

あぶない刑事(1987年、東映)


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