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武蔵野操車場
武蔵野操車場(1974年頃)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
むさしの
◄吉川 (2.2 km) (3.0 km) 三郷►
所在地埼玉県三郷市
埼玉県北葛飾郡吉川町.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度51分30.0秒 東経139度52分10.0秒 / 北緯35.858333度 東経139.869444度 / 35.858333; 139.869444座標: 北緯35度51分30.0秒 東経139度52分10.0秒 / 北緯35.858333度 東経139.869444度 / 35.858333; 139.869444
所属事業者日本国有鉄道(国鉄)
所属路線武蔵野線
キロ程79.2 km(鶴見起点)
開業年月日1974年(昭和49年)10月1日
廃止年月日1986年(昭和61年)11月1日
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武蔵野操車場(むさしのそうしゃじょう)は、かつて埼玉県三郷市および北葛飾郡吉川町(現・吉川市)に跨り所在した、日本国有鉄道(国鉄)の貨物列車用の操車場(ヤード)である。 武蔵野線が開通した1年半後の1974年(昭和49年)、同線の吉川駅と三郷駅の間に日本最大(全長5.2km、最大幅約350m・敷地面積約105万 m2 )の操車場として誕生した[1]。当時最新式を誇った YACS(英語: Yard Automatic Control System)[2]を採用することによって、自動化された操車場を目指していた。総工費は280億円にのぼる[1]。 貨車の仕分け・組成はコンピュータで処理され、入場してくる列車の機関車および貨車番号のカメラによる読み取り[3]とデータ化、入力した貨車番号や行き先等のデータによる仕分け作業の自動化が行われ、大幅な省力化と運送時間の短縮を実現した。 貨車組み替えの際も、無線操縦の機関車によってハンプと呼ばれる坂に貨車の押し上げ分離を行い突放し、自動的にポイントを切り替えて目的別に貨車を組み替えた。また、速度検出装置とカーリターダーを使用することによって、貨車を連結する速度を一定以下に抑えるようにブレーキをかけるなど、人手を使わない最新鋭のシステムを誇っていた。1日あたりの貨車取り扱い両数は4,400両の能力を誇っていた[1]。 これらのコンピュータ処理などは武蔵野線の下り線付近に存在したコントロールセンターから行っていた[4]。また操車場内には、武蔵野機関区も設置されており、DE11が11両配属されていた[5]。 しかし、国鉄の経営悪化の影響によるヤード集結型貨物輸送の廃止(→1984年2月1日国鉄ダイヤ改正も参照)に伴い、開業わずか10年後の1984年(昭和59年)に機能を停止、1986年(昭和61年)に正式に廃止された。
概要
歴史
1966年(昭和41年)5月 - 着工[1]。
1974年(昭和49年)10月1日 - 開設[1]。
1984年(昭和59年)2月1日 - ヤード集結形輸送全廃により機能停止。
1986年(昭和61年)11月1日 - 廃止。
廃止後の跡地利用武蔵野操車場跡地と新三郷駅(1989年頃)。