武蔵野市立図書館
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武蔵野市立図書館
Musashino Public Library
 武蔵野市立中央図書館
施設情報
前身武蔵野町立図書館
専門分野総合
事業主体武蔵野市
開館1947年(昭和22年)11月[1]
所在地武蔵野市(1館2分館)
統計情報
蔵書数880,970冊[2](2015年時点)
貸出数2,447,925冊[2](2015年)
条例武蔵野市立図書館条例
公式サイト ⇒武蔵野市立図書館
備考人口 143,630人(2016年4月1日現在)[3]
プロジェクト:GLAM - プロジェクト:図書館
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武蔵野市立図書館(むさしのしりつとしょかん)は、東京都武蔵野市にある公共図書館

中央図書館吉祥寺図書館武蔵野プレイス[† 1]からなる[5]

中央図書館と吉祥寺図書館の2館は市教育委員会教育部図書館、武蔵野プレイスは公益財団法人武蔵野生涯学習振興事業団が運営母体となっている[6]。貸出数は3館合計2,447,925点(2015年度実績)で、全国の人口10万人以上15万人以下の自治体の中では連続して第1位である[7][† 2]
沿革
町立図書館(1946-1947)

1893年(明治26年)に神奈川県から東京府に編入された北多摩、南多摩、西多摩の三郡160町村(以下、三多摩)は、明治初期の自由民権運動発祥の地で、数々の文化運動の伝統をもつ地域でありながら、1911年(明治44年)の八王子町立図書館設立まで公共図書館は存在していなかった[24]。空襲が激化する戦時下の1945年(昭和20年)4月、当時27館あった都立図書館の多くは休館・閉館を余儀なくされていたが、日比谷図書館長・中田邦造の発案により、焼け残っている図書館の蔵書を多摩地区に移して守るため、町村部の都立図書館を設置する方針が決定される[25]。同年4月30日付で、東京都より多摩地区各市町村長あてに「三多摩地区ニ都立図書館ヲ設置シ文化開発ニ資シ」という呼びかけの文書が送付され、これに対し設置の希望を表明したのが、武蔵野市(当時は武蔵野町)であった[25]。同年5月7日、日比谷図書館と図書館設置の合意書を結び、四谷図書館と下谷図書館の蔵書から2,574冊が武蔵野町に引き渡されたが、開館したのは終戦後の1946年(昭和21年)7月のことである[26]。当初誘致予定だった都立図書館は、方針変更のため成立せず、図書と書架・カード箱などの備品類が無償で譲渡された形で、武蔵野町立図書館となった[27]。このとき譲渡された「四谷図書館」の蔵書印のある図書は現在も保存されており、市民に利用されている[28]。1945年(昭和20年)5月の大空襲により、八王子市立図書館(1917年に市制施行)は蔵書もろとも全焼・消滅していたため[29]、武蔵野町立図書館が終戦後の多摩地区で最初の図書館となった[28]。初代館長は、図書館職員教習所出身の佐藤忠恕で、開設の3年後には独立の図書館を建設し、蔵書の充実や館外貸出にも積極的に取り組み、その基礎を築いた[27]
市立武蔵野図書館(1947-1982)

1963年(昭和38年)7月、市制施行15周年記念事業の一つとして、武蔵野市立武蔵野図書館と改称、移転・新築開館する[30]。武蔵野市民にとって初めての図書館建築であった[30]。1960年代に各地で図書館の新設が行われると、1970年代には増築やサービスの多様化を実現しながらも、多摩地区で最も立遅れた図書館といわれるようになり[31]、図書館機能活発化の必要が厳しく指摘される[32]。特に市の東部地区(吉祥寺東町・同本町)の文化施設空白地域の解消のため、図書館法で規定された図書館ではないながらも、1982年(昭和57年)1月に東町市民図書室、1983年(昭和58年)9月に本町図書室を開設し、市の3地域に読書設備を配置[33]。また、市内境5丁目の都営住宅改築にともない、東京都から図書館施設が提供されて、1982年(昭和57年)西部図書館が開館、これにより、市立武蔵野図書館は市立中央図書館と改称された[33]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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