武蔵国
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この項目では、日本の令制国について説明しています。大相撲力士については「武蔵國真武」をご覧ください。

武蔵国

■-武蔵国
■-東海道
別称武州(ぶしゅう)
所属東山道のち東海道
相当領域東京都(島嶼部を除く)、埼玉県神奈川県の一部
諸元
国力大国
距離遠国
数21郡119郷
国内主要施設
武蔵国府東京都府中市武蔵国府跡
武蔵国分寺東京都国分寺市武蔵国分寺跡
武蔵国分尼寺東京都国分寺市(国分寺跡に包括)
一宮小野神社(東京都多摩市
氷川神社(埼玉県さいたま市
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武蔵国古地図 右下が北

武蔵国(むさしのくに、.mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}旧字体:武藏國)は、かつて日本の地方行政区分であった令制国の一つ。東山道のち東海道に属し、現在の東京都埼玉県及び神奈川県川崎市横浜市にあたる。
「武蔵」の国名

「武蔵」の名の起源は諸説唱えられているものの、いずれの説も根拠となる資料に欠き定説となるには至っていない。

武蔵国造无邪志国造)の祖先には身狭耳命(むさみみのみこと)がおり、武蔵国東部を支配したと考えられている。

本居宣長は『古事記伝』の中で「武蔵国は駿河相模と共に佐斯国(さし-)と呼ばれ、後に佐斯上(さしがみ)下佐斯(しもざし)に分かれ、これが転訛し相模・武蔵となった」とし、賀茂真淵は『倭訓栞』に「身狭(むさ)国があり、のち身狭上(むさがみ)・身狭下(むさしも)に分かれて相模、武蔵となった」と唱えている。さらに近藤芳樹『陸路廼記』など「総国(ふさ-)の一部が分割され総上(ふさがみ)・総下(ふさしも)となり、それぞれ相模・武蔵となった」とする説もある。これらの説は武蔵国とのちの東海道の諸国の関わりを説く。
表記

表記については、飛鳥京藤原宮木簡に「无耶志国(むざし-)」と見え、7世紀頃までは「无射志」(むざし)や「牟射志」(むざし)と表記されていた記録も見つかっている[1]。他にも「牟佐志[2](むさし)」、「無邪志[3](むざし)」、「无邪志」、「胸刺」といった表記があるが、いずれも訓に字を当てたものと考えられている。

「武蔵」の表記は、その後、无邪志国(武蔵国東部)と知々夫国(武蔵国西部:秩父地方)とが合併し令制国としての武蔵国発足の頃に作られた。
現在の行政区分での領域

埼玉県

中葛飾郡および吉川市深井新田[4]、平方新田[4]を除く全域[注 1]


東京都

特別区(23区)[注 2]

多摩地域


神奈川県

川崎市

横浜市

大部分(横浜市のうち一部は相模国鎌倉郡に属していた[5][6][7][注 3]。「相模国#現在の行政区分での領域」も参照)。


相模原市

境川河川改修に伴い東京都町田市から編入された部分



沿革葛飾北斎富嶽三十六景』より「武州玉川(多摩川)」 1831年頃の名所絵(六郷のわたし)
古代

もとは无邪志国造胸刺国造を別個に考える説もある)と知々夫国造という2つあるいは3つの国造が存在した。6世紀には埼玉県行田市を本拠地とする笠原直が武蔵国造の乱に勝利し、その後に笠原直が国造を世襲することとなった。これらの国造の領域を合し7世紀に武蔵国が成立したとされる。大化元年(645年)に難波宮大化の改新が行われ穂積咋などが東国国司に任じられ(武蔵国司も参照)、また持統天皇4年(690年)、朝廷は新羅からの亡命者で帰化した韓奈末許満ら12名を武蔵国に移した。大宝3年(703年)には、引田祖父が武蔵国守に任じられた。慶雲5年(708年)には、秩父郡で和銅(精錬の必要の無い自然)が発見されたため、朝廷は慶事としてこの年を「和銅」と改元した。

和銅3年(710年)頃に、武蔵国造の乱で献上された多氷屯倉内の現在の東京都府中市国府が置かれた。これは、比較的早くから屯倉が設置され[8]、また交通・産業上の重要度を次第に増し始めた武蔵国南部の玉川中流域に面する[9]点でも選ばれたと考えられる。


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