武田春郎
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たけだ しゅんろう
武田 春郎
1923年の写真。
本名武藤 祐喜(むとう ゆうき)
別名義武田 秀郎(たけだ ひでろう)
武田 秀雄(たけだ ひでお)
生年月日 (1887-02-20) 1887年2月20日
没年月日不詳年
出生地 日本 三重県飯南郡柿野町(現在の松阪市飯南町
身長175.1cm
職業元俳優
ジャンル新派新劇劇映画現代劇時代劇サイレント映画トーキー
活動期間1907年 - 1943年
配偶者有
主な作品
月魄
青春の夢いまいづこ
人妻椿
婚約三羽烏
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武田 春郎(たけだ しゅんろう、1887年2月20日 - 没年不詳)は、日本の元俳優である[1][2][3][4][5][6][7][8]。本名は武藤 祐喜(むとう ゆうき)[1][2][3][4][5][6][7][8]。後年は武田 秀郎(たけだ ひでろう)、武田 秀雄(たけだ ひでお)と名乗った[2][8]。様々な職業を経て、松竹蒲田撮影所松竹大船撮影所などで長く活躍した戦前の貴重な名脇役である[4][5][6][7]
来歴・人物

1887年(明治20年)2月20日三重県飯南郡柿野町(現在の松阪市飯南町)に生まれる[1][2][4][5][6][7][8]。1923年(大正12年)に発行された『現代俳優名鑑』(揚幕社)には、出生地は上記通りだが、生年月日は「不明」である旨が記されており、同年当時は非公表であった[3]

東洋大学文学部哲学科を中退後、僧侶を始め、洋物屋、洋服屋、薬屋、奇術師、味噌屋、甘酒屋、中華料理店店員、占師、催眠術師、雑誌記者、新聞記者など、様々な職業に就職しながら俳優を志していた、とされている[1][2][3][5][6][7][8]。1924年(大正13年)に発行された『映画新研究十講と俳優名鑑』(朝日新聞社)によれば、小学校を卒業後、大学には入学せず、僧堂学校に3年間在学していたという旨が記されている[4]。1907年(明治40年)、小屋掛芝居の島田新平一座に入り、神奈川県横浜市北方町(現在の同市中区)の某座で初舞台を踏む[3]。1909年(明治42年)、大阪朝日座を拠点としていた岡本五郎一座を経て、日活の前身会社である吉沢商店の入社をはかるが果たせず、1916年(大正5年)、敢え無く小林商会に入社、芸名を「武田 春郎」と名乗り、同所の大部屋俳優となる[1][2][3][5][6][7][8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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