武正公一
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日本政治家武正 公一たけまさ こういち

生年月日 (1961-03-23) 1961年3月23日(63歳)
出生地 静岡県 静岡市清水区
出身校慶應義塾大学法学部政治学
所属政党(無所属→)
民主党→)
民進党野田G)→)
希望の党→)
旧立憲民主党→)
立憲民主党
称号法学士
公式サイト ⇒前衆議院議員 たけまさ公一 - 国民に力を。議会にもっと力を。
衆議院議員
選挙区(埼玉1区→)
比例北関東ブロック
当選回数6回
在任期間2000年6月26日 - 2017年9月28日
埼玉県議会議員
選挙区南3区
当選回数2回
在任期間1995年 - 2000年
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武正 公一(たけまさ こういち、1961年3月23日 - )は、日本政治家立憲民主党所属の元衆議院議員(6期)。

外務副大臣鳩山由紀夫内閣菅直人内閣)、財務副大臣野田第3次改造内閣)、衆議院総務委員長民主党埼玉県連代表、民主党財務委員長、同総務委員長、同組織委員長、民進党組織委員長、埼玉県議会議員(2期)等を務めた。
来歴

静岡県清水市(現:静岡市)生まれ[1]。父は造船技師。幼少期に埼玉県浦和市へ転居した。埼玉県立浦和高等学校1984年慶應義塾大学法学部政治学科卒業[1]1985年から一年間、中国山西大学に留学。

高校、大学時代はテニス部に所属し、中華人民共和国テニスの指導を行った経験もある。卒業後に松下政経塾に第5期生として入塾[2]。1990年には「浦和プロサッカー球団をつくろう会」の発起人代表を務めた[1]

1991年埼玉県議会議員選挙に出馬したが、次点で落選。1995年連合の支援を受けて再度埼玉県議会議員選挙に出馬し、初当選した。1999年に再選されるが、翌2000年に2期目の任期途中で辞職。第42回衆議院議員総選挙民主党公認で埼玉1区から出馬し、自由民主党前職で元大蔵大臣松永光を破り、当選。2003年第43回衆議院議員総選挙では、保守新党元職の金子善次郎を大差で破り再選。2005年第44回衆議院議員総選挙では自民党から出馬した金子に2,922票差まで詰め寄られたが、小泉旋風による民主党への逆風をはね返し、埼玉1区で3選。

2006年1月、尖閣諸島を上空より視察[1]2006年9月、小沢一郎代表の下で民主党次の内閣(NC)総務大臣に起用された[1]

2008年民主党代表選挙に際しては小沢の無投票3選を阻止すべく、自身が所属する花斉会会長の野田佳彦の擁立に動くが、同じ野田グループ内の松本剛明らの同意が得られず、野田の擁立は見送られ、小沢は無投票で再選された。2009年さいたま市長選挙では、民主党は新人の清水勇人を支持する一方、民主党埼玉県連幹事長であった武正は、自身の選挙で現職の相川宗一さいたま市長の支援を受けていたため、清水への支持を表明しなかったが、相川は清水に敗れた[3]。同年8月の第45回衆議院議員総選挙では、埼玉1区で自民党前職の金子を大差で破り、4選。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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