武昌郡
[Wikipedia|▼Menu]

武昌郡(ぶしょう-ぐん)は、中国にかつて存在した三国時代から南北朝時代にかけて、現在の湖北省東部に設置された。
概要

221年黄初2年)、孫権公安からに遷都し、鄂を武昌と改名した。武昌・下雉尋陽陽新柴桑の6県により、武昌郡が立てられた[1]。武昌郡は荊州に属した。ほどなくは武昌郡を江夏郡と改めた。

280年太康元年)、が呉を滅ぼすと、江夏郡を武昌郡と改めた[2]291年元康元年)、揚州と荊州の10郡を合わせて江州が立てられると、武昌郡は江州に転属した[3]。晋の武昌郡は武昌・柴桑・陽新・沙早E沙陽高陵の7県を管轄した[4]

南朝宋のとき、武昌郡は武昌・陽新・鄂の3県を管轄した。454年孝建元年)、郢州が立てられると、武昌郡は郢州に転属した[2]

南朝斉のとき、武昌郡は武昌・鄂・陽新・義寧真陽の5県を管轄した[5]

南朝梁のとき、北新州が立てられると、武昌郡は北新州に転属した。

589年開皇9年)、南朝陳を滅ぼすと、武昌郡は廃止されて、鄂州に編入された[6]
脚注^三国志』呉書呉主伝
^ a b宋書』州郡志三
^ 『晋書』孝恵帝紀および『宋書』州郡志二
^晋書』地理志下
^南斉書』州郡志下
^隋書』地理志下










三国の行政区分

 (咸熙2年、紀元264年)

司州

河南尹

弘農郡

河東郡

平陽郡

河内郡

魏郡

広平郡

陽平郡

原武郡

野王郡

?陽郡

朝歌郡

幽州

?郡

燕国

漁陽郡

右北平郡

上谷郡

代郡

遼西郡

昌黎郡

遼東郡

玄菟郡

楽浪郡

帯方郡

冀州

鉅鹿郡

趙国

安平郡

博陵郡

中山国

河間郡

勃海郡

常山郡

平原郡

楽陵国

清河郡

章武郡

并州

太原郡

西河郡

上党郡

楽平郡

雁門郡

新興郡

朔方郡

青州

北海郡

東?郡

斉国

済南国

楽安郡

城陽郡

徐州

彭城国


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:43 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef