武居由樹
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武居 由樹
生年月日 (1996-07-12)
1996年7月12日(27歳)
出身地東京都足立区
通称壊しのベビーフェイス
K-1からの黒船
Greatest Krusher
国籍 日本
身長170 cm (5 ft 7 in)
体重バンタム級
スーパーバンタム級
→バンタム級
リーチ173 cm (68 in)
スタイル左ボクサーファイター
トレーナー八重樫東

キックボクシング記録
試合数25
勝利23
ノックアウト16
敗戦2

プロボクシング記録
試合数9
勝利9
ノックアウト8
敗戦0
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武居 由樹(たけい よしき、1996年7月12日 - )は、日本プロボクサー。元キックボクサー東京都足立区出身。大橋ボクシングジム所属。現WBO世界バンタム級王者。第46代OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者[1]。第2代K-1 WORLD GPスーパーバンタム級王者。初代Krushバンタム級王者。

プロボクシングでのトレーナーは八重樫東。マネジメント会社は八重樫が代表を務めるP&M LAB.[2]
来歴

足立区の母子家庭で育ったが、問題児だった武居を手に負えなくなった母親は思い悩んだ末に親子心中まで考え、武居が10歳の時に問題のある子供たちを引き取って指導しているキックボクシングジム(Power of dream)へ預けることにする。武居はキックボクシングジムの古川誠一会長の自宅に住み込んで他のジム生と共同生活を送りながら厳しいトレーニングに励む。最初は嫌々だったが、日々の練習と生活の過程で礼儀作法を学び直したことで素行が落ち着き、大会で優勝するようになるとだんだんと楽しくなりキックボクシングにのめり込んでいった。 都立足立東高校ではボクシング部に入部、キャプテンを任されるまでになり、武居のボクシングの成績を評価した大学から推薦入学の話も舞い込むが、その話を断りプロキックボクサーを目指すことを選んだ[3]

2011年9月11日、フジテレビザ・ノンフィクション」で「悪ガキ ガチンコ物語」放送。

2012年2月25日、ビッグバン?統一への道? 其の八のオープニングファイトにおいて那須川天心とアマチュアキックルールで対戦し、1-1の判定でドロー[4]

2014年9月21日、フジテレビ「ザ・ノンフィクション」で「悪ガキ ガチンコ物語 4年後の決心」放送[5]

2014年11月9日、Krush.47でプロデビュー。たすくと対戦し、KO勝ち。

2015年1月4日、Krush.49で佐野天馬と対戦し、0-2の判定負け。

2015年4月19日、K-1 WORLD GP 2015 IN JAPAN??55kg初代王座決定トーナメント?で西京春馬と対戦し、0-2の判定負け。年下の選手に2連敗したことで、キックボクシングが向いてないのではと落ち込み、一時期引退も考えるが、階級を下げたことで勝ち始める[3]

2016年2月5日、Krush.63で軍司泰斗と対戦し、3-0で判定勝ち。

2016年4月10日、Krush.65のKrush -53kg初代王座決定トーナメント準決勝で隆聖と対戦し、左アッパーでKO勝ち。
Krush王座獲得

2016年6月12日、Krush.66のKrush -53kg初代王座決定トーナメント決勝戦で上羽優希と対戦し、右アッパーでKO勝ち。初代Krush -53kg王座を獲得。

2016年12月18日、Krush.71のKrush -53kg王座の防衛戦で隆聖と対戦し、KO勝利を収め、王座の初防衛に成功した。

2017年1月22日、フジテレビ「ザ・ノンフィクション」で「足立区 悪ガキ伝説?7年のキセキ? 」放送[6]
K-1 WORLD GP王座獲得

2017年4月22日、K-1 WORLD GP 第2代スーパー・バンタム級(-55kg)王座決定トーナメントに出場。1回戦でアントニオ・オルデンと対戦し、初の国際戦で動きに固さが見られ、やや苦戦しながらも2ダウンを奪い3ラウンドKO勝ち。準決勝では石田圭祐に左ストレートがきれいに入りダウンを奪うと、続けざまに右ボディフックから右フックのトリプルを決め、1ラウンドKO勝ち。決勝ではボクシングに転向していた久保賢司をボクシングテクニックで上回り終始圧倒して完勝、フルマークの判定勝ちを収め、普段試合をしている53kgではなく一階級上のスーパーバンタム級(-55kg)でのトーナメントを不利な体格差をはね返して優勝を果たし、第2代K-1 WORLD GPスーパーバンタム級王座を獲得。リング上のマイクで「ここまで来れたのは会長と会長の奥さんと、かあちゃんとジムの仲間、応援してくれた皆さんのおかげです」と感謝の気持ちを述べた[7]

2017年8月20日、Krush.79 ?in NAGOYA?で武尊と自身初となる2分2Rのボクシングルールによるエキシビションマッチを行い、エキシビションという関係上判定が行われないため引き分けとなった。

2017年09月18日、K-1 WORLD GP 2017 JAPAN ?初代ウェルター級王座決定トーナメント?にて伊澤波人(英語版)と対戦。フットワークを使って伊澤の得意なローキックをまともに貰わないようにしつつ、パンチを上下に散らし蹴りも交えた多彩な攻撃で徐々にダメージを与え、3Rに左ハイキックとパンチのラッシュで2度ダウンを奪うと、さらにパンチのラッシュで3度目のダウンを奪いKO勝利を収めた。

2017年11月23日、K-1 WORLD GP 2017 JAPAN ?初代ヘビー級王座決定トーナメント?にてビクトー・サラビアと対戦し、右バックスピンキックを右脇腹に決めてからの左ボディブローでサラビアを沈め、1RKO勝利を収めた。

2018年1月14日、年間表彰式「K-1 AWARDS 2017」が初開催され、最優秀選手賞(MVP)を受賞した[8]

2018年3月21日、K-1 WORLD GP 2018 JAPAN ?K'FESTA.1?にてK-1 WORLD GPスーパー・バンタム級王座の防衛戦で久保賢司と対戦し、左三日月蹴りを効かせると左ハイキックを打ち込み、続けて右ボディフック、顔への右フックと畳み掛けダウンを奪うと、立ち上がった久保に左ハイキック、そして最後は右フックでダウンを奪いKO勝利を収め、王座の初防衛に成功した。

2019年6月30日、K-1 WORLD GP 2019 K-1スーパー・バンタム級世界最強決定トーナメントに出場。1回戦でアレックス・リーバスにKO勝ち。準決勝では玖村修平にKO勝ち。決勝では玖村修平の実弟玖村将史にKO勝ちを収め優勝を果たした。

2020年12月13日、K-1 WORLD GP 2020 JAPAN IN 両国国技館をもってスーパーバンタム級王座を返上し K-1を卒業[9]ボクシングへの転向を表明。大橋ジムに所属し八重樫東トレーナーの指導の下でトレーニングに励む事を明らかにした。ボクシング転向のきっかけは、蹴るのが難しくなる怪我をしたのが一番大きな理由と語っている[10]
プロボクシング

2021年2月11日、国立代々木競技場で開催のチャリティーボクシングイベント『LEGEND』で元WBO世界フライ級王者・木村翔とエキシビションマッチで対戦した[11]

2021年3月11日、後楽園ホールでデビュー戦として高井一憲と対戦し、1回1分43秒TKO勝ちを収めた[12]

2021年9月9日、後楽園ホールで竹田梓と対戦し、1回2分57秒TKO勝ちを収めた[13]
東洋太平洋王座獲得

2022年8月26日、後楽園ホールでOPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者ペテ・アポリナルと対戦し、5回2分7秒TKO勝ちを収め、王座獲得に成功した[14]

2022年12月13日、有明アリーナ井上尚弥 対 ポール・バトラー戦の前座としてOPBF東洋太平洋スーパーバンタム級10位のブルーノ・タリモと対戦し、11回2分17秒TKO勝ちを収め、初防衛に成功した。

2023年2月18日、韓国ソウルのカンナム・ソムユセンターで韓国スーパーバンタム級2位のチャン・ドンフンとエキシビションマッチを行った。

2023年7月25日、有明アリーナでスティーブン・フルトン 対 井上尚弥戦の前座としてフィリピンバンタム級王者のロニー・バルドナドとノンタイトル戦を行い、3回1分8秒KO勝ちを収めた。
東洋太平洋王座返上

バンタム級転向と世界王者を目指すため、2023年11月28日付でOPBF王座を返上した[15][16]

2023年12月26日、井上尚弥 対 マーロン・タパレス戦の前座でバンタム級転向初戦として元WBCアメリカ大陸バンタム級王者のマリオ・ディアスと対戦し、ボディーブローで2回2分23秒KO勝ちを収めた。

2023年12月28日、ディアス戦後の夜に溶連菌感染症を発症したことを発表。
世界戦

2024年5月6日、井上尚弥 対 ルイス・ネリ戦の前座のWBO世界バンタム級タイトルマッチで王者のジェイソン・モロニーに挑戦。初回と2回に左ボディでのローブローの反則により1点減点されながらも12回3-0(116-111×2、117-110)の判定で破り、プロボクシングデビュー以来の連続KO勝利は8で途切れたものの王座獲得に成功した[17]


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