武力不行使
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パブロ・ピカソ作の絵画『ゲルニカ』を模した壁画。ナチス・ドイツによるゲルニカ爆撃にインスピレーションを受けて描かれたと言われる[1]反戦の象徴として知られ、国連本部安保理議場前には『ゲルニカ』のタペストリーが展示されている[2]

武力不行使原則(ぶりょくふこうしげんそく)、または武力行使禁止原則(ぶりょくこうしきんしげんそく)は、国際関係において武力の行使、武力による威嚇をすることを禁じた国際法上の原則である[3]。1945年の国連憲章2条4項に定められ、1986年のニカラグア事件国際司法裁判所判決では武力不行使原則が国連憲章上の原則であるにとどまらず慣習国際法としても確立していることが確認された[4]。慣習国際法としての確立により、現代における通説では武力不行使原則が国連憲章を批准していない国連非加盟国に対しても適用されると考えられている[4]。こうした現代の武力不行使原則は不戦条約などの戦前の戦争違法化の欠陥を克服した側面もあり[3]、人類の長年にわたる戦争禁止の努力を前進させたものと評価されるものである[5]。しかし一方で、アメリカイギリスフランスロシア中国といった国連安保理常任理事国が自ら武力不行使原則に違反する行動をとった場合に十分な対応ができないという不完全な側面もある[6]
沿革
正戦論「正戦論」も参照フーゴー・グロティウスの肖像画。正戦論を精緻化したとされ[7]、「国際法の父」ともいわれる[8]

戦争をどのようにして規制するのかは、国際法学において長く重大な課題であり続けた[7]。正戦論または正規戦争論とは、戦争を正当な戦争と不正な戦争とに分け、正当な原因にもとづいた戦争だけを合法な戦争として認め不正な戦争を排除しようとする考え方であり[7][9]アウグスティヌスが初めて体系化したといわれる[9]。さらにスコラ学を経て中世の神学者に伝わり、フーゴー・グロティウスをはじめとした近世の国際法学者たちに正戦論が受け継がれた[9]。グロティウスは1625年の著書『戦争と平和の法』の中で、戦争の正当原因を詳細に述べて正戦論をより精緻なものとしたと言われるが[7]、しかし正戦論は実定法上の根拠を欠いた理論上のものにとどまるものであった[9]
無差別戦争観

近代になると、戦争の当事者双方が自らの正当原因を主張し合って譲らない場合においては、いずれかの当事者に正当原因があるのかを判定する上位の権威者が存在しなければいずれの当事者が正当原因を持つかを判定できず、現実の国際社会ではそのような上位の権威者が存在しないため、正戦論を現実に適用することは困難だと考えられるようになった[10][7]。こうして18世紀になると正戦論は後退していき、無差別戦争観の主張が有力になっていく[7]。無差別戦争観とは戦争をその原因が正か不正かによって差別せず、戦争を無差別にとらえようとする考え方である[11]。この無差別戦争観においては戦争の正当原因は国際法の対象外の問題とされ、国際法はもっぱら個々の戦闘の手段・方法を規律するものだと考えられた[11]。19世紀にはこの無差別戦争観が主流となっていくが[11]南北戦争イタリア統一戦争クリミア戦争といった凄惨な戦争の反省から、19世紀半ばごろにはすでに無差別戦争観を否定して武力行使や戦争になんらかの規制を求める考え方が主張されるようになっていた[12]
国際連盟期の戦争違法化

20世紀にはいると第一次世界大戦の勃発により無差別戦争観の考え方が改められ[7]、戦争に訴える権利や武力行使に規制が試みられるようになった[10]。例えば1907年の契約上ノ債務回収ノ為ニスル兵力使用ノ制限ニ関スル条約や開戦ニ関スル条約などがこの時代における規制に当たる[13]。1919年の国際連盟規約はさらに規制を強め[14]、国際裁判や連盟理事会を通じた国際紛争の平和的解決義務を定め、これに違反して戦争に訴えることを禁止した(戦争モラトリアム)[7]。しかし連盟規約では戦争や武力行使が全面的に禁止されることはなかった[14]

連盟規約ではできなかった戦争の違法化を達成した最初の条約は1928年の不戦条約であった[14]。これは戦争に訴える権利そのものを否定した最初の条約であったと言えるが、以下のような重大な欠陥もあった[13]。つまり欠陥とは、開戦宣言最後通牒無しに武力行使が行われる場合のような、正規の戦争ではないものが条約の対象外とされたこと[13]。条約違反に対しての有効な制裁措置が欠けていたこと[13]。条約の解釈・適用に関する紛争解決手続きが定められていなかったこと[13]。各国が留保や解釈宣言を行うことにより条約の適用を除外することが広く認められてしまったこと、といった点があげられる[13]。実際に、1928年から1935年のチャコ事件、1931年の満州事変、1934年のエチオピア事件、1937年の日華事変などでは、連盟規約や不戦条約に違反しないとの主張のもと武力行使が行われた[14]
国連発足1986年のニカラグア事件本案判決言渡しをする国際司法裁判所の裁判官団。このとき国際司法裁判所は、国連憲章2条4項の武力不行使原則が、憲章上の義務であるにとどまらず慣習国際法としても確立していることを確認した[15]

1945年の国連憲章では、2条3項に定められた国際紛争の平和的解決義務に直接的に関係するものとして、2条4項で武力不行使原則が定められた[3]。この国連憲章2条4項により、国際関係における武力の行使・武力による威嚇は原則的にすべて禁止されることとなった[3]。2条4項の規定は開戦意思の有無を問わずすべての武力の行使・武力による威嚇を禁止したという点で、不戦条約の欠陥を克服したものといえる[3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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