「竹内弘行」とは別人です。
たけうち ひろゆき武内 裕之
プロフィール
出身地 日本 福岡県北九州市
生年月日 (1968-01-30) 1968年1月30日(56歳)
血液型AB
最終学歴慶應義塾大学商学部卒業
勤務局九州朝日放送
部署ラジオ営業部
職歴アナウンス部→東京支社→ラジオ営業部
活動期間1991年 - 2014年
配偶者あり
公式サイト ⇒KBC
出演番組・活動
出演中『武内裕之That's On Time』
出演経歴『ドォーモ』
アナウンサー: テンプレート - カテゴリ
武内 裕之(たけうち ひろゆき、1968年1月30日 - )は、九州朝日放送の社員で元アナウンサー。 北九州市出身。1983年、高校受験に失敗し、1年間浪人生活を送って福岡大学附属大濠高等学校に進学。その後は留年等をすることなく慶應義塾大学商学部卒業後、KBCに入社。同期には、加藤恭子、秋山仁志がいる。武内は「高校受験失敗という挫折が今日の原点ともなった」ことを明らかにしている。 人事異動を全社規模で行うKBCにあって同僚が一度は他部署への配置転換を経験する中、長らくアナウンスの第一線にとどまっていた。 入社後は、秋山とともに深夜番組『ドォーモ』のリポーターとなり、以後朝番組『朝はポレポレ』の司会を担当していた時期を挟み通算16年にわたって出演。ラジオの深夜放送担当も相まってその名を知られ、地元九州ではタレント並みの知名度を獲得。喋り口やタレントなみの積極的な行動からアナウンサーに見られることが少なく、彼がアナウンサーである事を知らない視聴者も多かった。 『ドォーモ』を2010年3月26日未明(25日深夜)放送分を以って降板し、ラジオに軸足を移して4年間、朝ワイド番組『武内裕之That's On Time』のメインMCを担当していた。 2014年度の人事異動でアナウンス部を離れ、東京支社へ異動となった。入れ替わりに他部署に移っていた平川尚子がアナウンス部に復帰。 2018年2月24日放送のラジオ特番『博多デス。』で、約4年ぶりにラジオ出演した[1]。 2020年10月現在、福岡に戻りラジオ営業部に在籍[2]。
人物・履歴
エピソード
ニュースを読んだ際、放送後に視聴者から「いつからKBCはタレントにニュースを読ませるようになったのか」という苦情が来たこともある。
『ドォーモ』の企画でワールドカップ2006ドイツ大会を観戦しに日本を出発する際、空港にてNNN系列『真相報道 バンキシャ!』で一サポーターとしてインタビューに答える姿が放送された。
『ドォーモ』の企画で、7年に渡り追い続けたカジキマグロを、その数が少ないと言われる玄界灘で釣り上げた。
『KBC水と緑のキャンペーン』企画で、鹿児島・錦江湾を泳ぎ切るなど、40を過ぎてもなお、身体張り系のロケもこなしていた。
私生活では2児の父親でもある。『ドォーモ』で共演していた高橋徹郎とは、同時期に父親となったこともあり親しく、過去にはラジオ番組で互いの子育てに関して話していた。
声が大きく独特の声質である為、先輩後輩問わず(特に先輩アナウンサーの沢田幸二に)ものまねや弄られる事が多い。
主な出演番組
テレビ
ドォーモ登場初期はレポーター。1999年4月の番組リニューアルで司会者に。この番組で様々な体験をさせられた事の中から、クワガタムシの捕獲、繁殖が趣味になった。武内企画のロケ取材をした時には必ず雨が降ることから、中島浩二から「嵐を呼ぶ男」と呼ばれた。
朝はポレポレ1998年4月の番組スタートから1年間メイン司会を担当したが、その後『ドォーモ』に戻る。本人曰く、「朝からうるさい」という苦情が来たのが司会交代のきっかけだという。
スーパーJチャンネル九州・沖縄(草柳悟堂のリリーフ)
KBCニュースピア(同上)
ラジオ
ナイトスロープ3P→中島浩二アワー・THE3P
タケボー・徹郎のTVでは話せません
カプセルマガジン第二期 金曜日担当(2005年4月?2007年3月)月曜から木曜はテレビでドォーモ担当、金曜日はこの番組の為「KBCの夜の男」とのキャッチフレーズを本人自らが付けていた。
夜はこれから!ホークス派宣言(2010年度上期、火曜・水曜)
PAO?N(同上、金曜)
武内裕之That's On Time(ラジオ、2010年10月から2014年3月まで)
島田洋七の朝から言わせろ!(アサデス。ラジオ内朝7:50頃から、2022年10月?)
脚注[脚注の使い方]^ KBCラジオさんのツイート
^ ⇒ラジオCM始めませんか?
関連項目
福岡県出身の人物一覧
慶應義塾大学の人物一覧
外部リンク
武内裕之 (@hiro_takeboh) - X(旧Twitter)人事異動に伴いアカウントを変更し、東京支社勤務の日々を呟いている。