正道会館
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新日本空手道連盟 正道会館
正道会館総本部
創立者初代会長 石井和義
団体種類任意団体
設立1980年昭和55年)
所在地大阪府大阪市北区錦町3-1 龍王ビル
法人番号9120005016582
活動地域 日本
活動内容空手道
ウェブサイトwww.seido.co.jp/
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正道会館(せいどうかいかん)は、大阪府大阪市に総本部道場を置く空手団体である。団体名称は「新日本空手道連盟 正道会館」。

全日本空手道連盟(JKF)には認定団体として加盟しており、総本部ではプロコース、柔術クラス、キックボクシングクラスも行っている。
歴史正道会館大東道場

1980年昭和55年)に当時極真会館芦原道場大阪支部の支部長だった石井和義大阪市西成区岸里に設立。設立当初の名称は正道館で、後に新日本空手道連盟正道会館に改称。二宮博昭、中山猛夫、前田比良聖・伊藤浩久など、芦原道場から多くの人間が移籍した。

1982年(昭和57年)には第1回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会を開催。初期の大会では極真全日本大会準優勝の実績を持つ中山猛夫が、圧倒的な力で優勝を重ねていった。またフルコンタクト空手の競技で勝つための実践的なスタイルを提唱し、様々なオープントーナメントに選手を送りこんで活躍し、後に「常勝軍団」とまで言われるようになる礎を築いていった。

USA大山空手との対抗戦「USA大山空手vs正道空手5対5マッチ」を東京で開催し話題を呼んだ。1991年平成3年)には顔面ありルールに本格進出を表明し、同年12月リングス参戦、1992年(平成4年)1月「トーワ杯カラテ・ジャパン・オープン」出場などを経てキックボクシング形式でも活動する。

また1993年(平成5年)にK-1GRAND PRIXを初開催し、日本の格闘技ブームの火付け役となった。
組織

館長:
石井和義

総本部

師範:角田信朗、湊谷秀文

師範代:伊藤蓮


支部・同好会数

2014年平成26年)1月時点での全国支部・同好会・教室数は350か所。海外4カ国。


大会
オープントーナメント全日本空手道選手権大会

1982年昭和57年)には第1回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会を開催。また第7回大会ではリングを使用、さらに再延長時にはグローブをはめての顔面攻撃有りのルールを導入する(第15回大会よりリングの使用および再延長のグローブ戦は廃止)。

無差別級 全日本大会 試合結果回年優勝準優勝3位4位回年優勝準優勝3位4位
11982年中山猛夫前田比良聖今西靖明川地雅樹121993年佐竹雅昭アンディ・フグ後川聡之金泰泳
21983年中山猛夫今西靖明杉原正康小林健太131994年サム・グレコマイケル・トンプソンケネス・フェルター南豪宏
31984年川地雅樹今西靖明木村成克佐竹雅昭141995年金泰泳後川聡之子安慎悟ムサシ
41985年川地雅樹佐竹雅昭今西靖明角田信朗151996年子安慎悟本多浩出畑力也
51986年川地雅樹佐竹雅昭今西靖明東雅美161997年子安慎悟出畑力也春山成千門久雄
61987年佐竹雅昭川地雅樹今西靖明柳澤聡行171998年門久雄春山成千出畑力也福永規男
71988年佐竹雅昭柳澤聡行川地雅樹角田信朗182006年外岡真徳沢田秀男地主正孝福永規男
81989年佐竹雅昭田上敬久柳澤聡行松本栄治192009年外岡真徳沢田秀男尾崎慶小西雅仁
91990年後川聡之田上敬久佐竹雅昭柳澤聡行202012年野田貢土井一央小西雅仁地主正孝
101991年後川聡之アダム・ワット田上敬久武澤伸光
111992年アンディ・フグ金泰泳後川聡之鈴木修司

1999年平成11年)より毎年9月に大阪にて体重別のウェイト制大会(現在3階級)を開催。3年に1回は無差別大会開催(2012年(平成24年)までに全日本ウェイト制は第11回まで開催。全日本無差別大会は第20回まで開催)。

現在の正道空手ルールは、いわゆる極真ルールに片手による瞬間的な掴み・引っ掛け(1秒以内)を加えたものであり、相手を掴んでの攻撃バリエーションが発達している。

近年の主な全日本チャンピオン

外岡真徳 - 第19回全日本無差別大会

沢田秀男 - 第8回全日本ウェイト制大会重量級

地主正孝 - 第8回全日本ウェイト制大会軽重量級

小西雅仁 - 第11回全日本ウェイト制大会中量級

土井一央 - 第11回全日本ウェイト制大会重量級

野田貢 - 第20回全日本無差別大会

椙村祐亮 - 第11回全日本ウェイト制大会軽量級

平尾大智 - 第10回全日本ウェイト制大会軽量級

工藤健太郎 - 第8回全日本ウェイト制大会中量級

菱川晋作 - 第8回全日本ウェイト制大会軽量級

極真会館への大会参加

芦原道場時代は中山猛夫、伊藤浩久、前田比良聖らが全日本大会に出場し、中山が第9回大会に於いて準優勝の成績をおさめている。正道館(当時)が発足した1980年昭和55年)。芦原会館との混成メンバーで第12回全日本大会に出場、今西靖明が2日目まで勝ち残った。第13回大会では宮崎保明が当時の極真本部のエース、竹山晴友と対戦し、敗れたもののその善戦ぶりで注目を浴びた。

1990年(平成2年)には大山倍達の空手界の大同団結の呼びかけに応じ、多くの選手をエントリーした。正道会館の選手への厳しい判定が多い中、第9回全日本ウェイト制全日本大会にて角田信朗が他流派史上初(当時)の4位に入賞した。その後、格闘技プロモーターとして活躍しだした石井がアンディ・フグを空手ワールドカップ(実際には従来の全日本大会に数名の外国人を招聘しただけで各国で選抜戦は行われていない。優勝者にはカップでなくトロフィを贈与)に無断出場させたことが原因で極真会館から絶縁を言い渡される。

大山没後、極真会館の開放策で再び正道会館の選手が極真会館の大会に公式に参加が認められ、極真側からもK-1などのプロ興行に選手を送り込むことになった。

大会入賞者や世界大会代表も輩出。現在、極真会館(松井館長)の全日本大会へ参加している。

2015年(平成27年)9月、極真会館(館長・松井章圭)と友好団体となり、空手の社会的地位向上と、全空連が進める空手の五輪正式種目化を目指すことを表明した。
プロ大会への参加

プロ大会への初挑戦は1990年(平成2年)6月30日 全日本キックボクシング連盟「INSPIRING WARS “HEAT630”」で、正道会館所属の佐竹雅昭とマーシャル・アーツのドン・中矢・ニールセンが3分5Rヨーロッパキックルールで対戦。佐竹が1R2分7秒、左ストレートでKO勝ち。現在も積極的にプロ団体(キック・総合)へ参戦している。
プロ大会開催

1991年(平成3年)6月4日USA大山空手との対抗戦「USA大山空手vs正道空手5対5マッチ」を開催。この興行の成功が、「格闘技オリンピック」から「K-1」シリーズの流れに繋がり、自派の全日本空手道選手権大会(カラテワールドカップ)にも、極真空手世界大会出場歴のある有名選手やプロ格闘技選手を出場させるなどで話題を集める。

1992年(平成4年)3月26日には東京体育館で、様々なジャンルから選手を集め、ルールも多種にわたった実験的大会「格闘技オリンピック」を開催。続いて7月30日には、代々木第二体育館で「格闘技オリンピックII」を開催。アンディ・フグが正道会館初参戦し柳沢聡行と対戦する。10月4日大阪府立体育会館で「格闘技オリンピックIII?'92カラテワールドカップ」開催。


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