正装
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この項目では、礼服全般について説明しています。律令制における礼服(らいふく)については「礼服 (宮中)」をご覧ください。

「夜会服」はこの項目へ転送されています。三島由紀夫の小説については「夜会服 (小説)」をご覧ください。

礼服(れいふく)とは、冠婚葬祭の儀式典礼[1]といった改まった席[2]で着用する衣服のことであり、礼服の着装状態を礼装[1]という。英語では「フォーマルウエア(Formal wear)」と呼ばれ[3]、その格式によって、正礼装、準礼装、略礼装、平服、などと区別される。また、昼間に行われる結婚式披露宴などは昼の礼服、夜に行われる舞踏会晩餐会などは夜の礼服、と「昼」(モーニングドレスアフタヌーンドレスなど)と「夜」(イブニングドレスディナードレスなど)のものに分けられており、特に夜会[注釈 1]で着用される礼服は夜会服と呼ばれる[4]
礼服着用の機会日下部金兵衛《結婚式》(1885?1895年、オーストラリア国立美術館蔵)[5]2014年2月27日、ウィーン国立歌劇場で行われた舞踏会「ヴィーナー・オーパンバル」の様子。

礼服は、一般に「冠婚葬祭」の儀礼において着用される[6]。日英のフォーマルウェアを研究する清家壽子は、それらを「慶事のシーン」「弔事のシーン」に大別し、それぞれに下記のシーンを挙げている[7]。シーンの場所や目的、参列者の顔ぶれ、すなわち「T.P.O.」[注釈 2]によって、ふさわしい装いを着分ける必要がある[8]。礼服着装のルールは時代とともに変化するが、ルールの基本精神は人間関係を快く保つことである[9]
慶事のシーン

結婚式披露宴

お見合い婚約式、結納

公的なパーティ国家の日の式典、晩餐会、午餐会、カクテルパーティー、ティーパーティー舞踏会、記念式典や祝賀会(創立記念日、竣工または落成式、地鎮祭、社長就任、出版記念、入卒園式、入学式卒業式、謝恩会、成人式など)

私的なパーティ/お宮参り七五三、誕生祝い、結婚記念日、長寿の祝い、新築祝い、ホームパーティー

コンサートオペラ、観劇、発表会

クルーズオリエント急行

皇室行事/叙勲園遊会文化勲章親授式

カジノ(主にヨーロッパ)

弔事のシーン

葬儀告別式三回忌までの法要

通夜、三回忌以降の法要

ドレス・コード

国際儀礼(プロトコル)に基づく公的なパーティでは、招待状にドレスコードが明記される[10]。招待状には、通常男性のドレス・コードのみが記載されており、女性は男性の服装と同格のものを着用する[11]。また出席者の出身国の民族衣装も尊重され、礼装正装として、洋装におけるそれらと同格の服装として認められる(日本人にとっての紋付羽織袴着物等)ことが通常である。

国際儀礼とは、国際的に行われている「国家間、公人間の儀礼上の規則、慣習」のことである。基本的には西欧の規則、慣習が土台になっており、キリスト教社会の考え方が大きく反映されている。国際儀礼やエチケットは、社会の営みをスムーズにし、相手に「不快感」や「憤り」を与えない、秩序ある居心地のいい環境を造るなど、社会と人々の関係を潤滑にすることが目的であるといえる[12]

国際儀礼におけるドレス・コードは、かつては細かく規定されていたが、近年では簡略化され、多くの場合、男性は「平服(ラウンジ・スーツ)」か「ダーク・スーツ」で十分であり、女性の場合は、衣服の色やデザイン、素材に多様性が増したため、昼間に着用する服は「デイ・ドレス」、夜の食事に着用する服は「ディナー・ドレス」とだけ大別する程度になってきている[11]
ドレス・コードの目安

下記は、寺西千代子 (2014, pp. 152?159)に拠る。

男性女性
昼・正礼装モーニングコートアフタヌーンドレス
夜・正礼装ホワイト・タイ(燕尾服)ロングイブニングドレス(ヒール丈またはトレーン丈)
夜・準礼装ブラック・タイ(タキシード)セミイブニング・ドレスまたはディナードレス(くるぶし丈またはヒール丈が正式だが、ショート丈も可の場合がある)
昼/夜・略(礼)装平服(ダークスーツ、ラウンジスーツ)平服(ワンピース/スーツなど)

また、日本では普及していないが、昼の準礼装は男性はディレクターズスーツ。女性はセミアフタヌーンドレスとされることが多い。
モーニング・コート2012年12月21日、信任状捧呈式に臨むティモシー・ヒッチンズ日本駐箚英国特命全権大使と出迎える小田野展丈宮内庁式部官長

元首や高位者の臨席する公式行事、結婚式などに着用する。日本では、宮中関係の行事、結婚式、格式ある式典、改まった祝賀会、大使の信任状捧呈式などに用いられる[13]

上衣はが基本だが、グレーが許容される国もある。襟は剣襟(ピークドラペル)が正式で、ドスキン、カシミア、バラシャなどの生地で仕立てられる。チョッキも上衣と共布の黒とするが、祝いごとや園遊会などではグレーも用いられる。慶事に、白の縁取りを付ける場合があるが、日本の宮中では付けない。合わせはシングルブレスト(5つボタンまたは6つボタン)、ダブルブレスト(3ボタン)、どちらでもよい。ズボンは黒とグレーの縞模様で、裾は折り返さず、ベルトは不可、ズボン吊りを使用する。シャツは白色を用い、立襟(前折襟)が正式だが、普通襟(折襟)でもよい。ただし、アスコット・タイを用いる場合は、必ず立襟のシャツを用いなければならない。カフスはダブルが望ましいが、シングルでもよい。ネクタイは結び下げまたはアスコットタイで、シルバー・グレーの無地が普通だが、日本では白黒の縞も多く見られる。黒無地の靴下に黒キッド[要曖昧さ回避]またはカーフ[要曖昧さ回避]の短靴を履き、ひも結びまたはスリップ・オンにする。白のまたはポケットチーフをさし、銀か金の台に白真珠、白蝶貝などをあしらったカフリンクスタイピンなどで装身する。手袋は白や薄いグレー、クリーム色などの鹿皮が本来であり、白の布製のものも用いられるが、あまり使われなくなってきている。正式な帽子はシルクハットである[13]
ホワイト・タイホワイト・タイの服装の例。2007年5月にホワイトハウスで開かれた晩餐会でエリザベス2世夫妻を案内するジョージ・W・ブッシュ大統領夫妻[14]

正式晩餐会舞踏会、レセプション、大使の信任状捧呈式に着用される[15]

上衣は黒またはミッドナイトブルーで、剣襟に拝絹と呼ばれるサテンを付ける。ドスキン、カシミア、バラシャ、ウーステッドなどの生地で仕立てられる。チョッキは白のピケ、または絹で、シングルでもダブルでもよい。バチカンなどでは、昼間の儀式において、黒チョッキを着用する。ズボンは上衣と共布の黒またはミッドナイトブルーで、脇に2本の拝絹の側章を縫い付ける。裾は折り返さず、ベルトは不可で、ズボン吊りを使用する。シャツは白で、「いか胸」と呼ばれる胸の部分を固く糊付けしたものか、プリーツのついたものを着用する。ボタンの代わりにスタッドボタンを使い、襟はウィングカラー、カフスはダブルとする。白のピケの蝶ネクタイを付ける。黒の靴下に黒総エナメルオックスフォードシューズ(ハトメのある紐締めのもの)かパンプスを履く。白絹または白麻のポケットチーフ、カフリンクスとスタッドボタンは白真珠や白蝶貝などの白いものとする。手袋は白または薄いグレーの鹿皮がよいが、ほとんど用いられない。帽子はシルクハットだが、夜の行事ではクロークに預けるため、ほとんど使われない[15]
ブラック・タイブラック・タイの例。2016年5月にホワイトハウスで開かれた北欧5か国首脳との晩餐会[16]2019年5月27日皇居で開かれた宮中晩餐会の様子。天皇(右)及びアメリカ大統領ドナルド・トランプ(中央)はブラックタイを着用している。

公式行事、披露宴、各種パーティ、音楽会、観劇の初日公演などに加え、広く夕食会において着用される[17]

ドスキン、バラシャ、カシミアなどで仕立てられた、黒またはミッドナイトブルーの短い上衣を用いるが、熱帯諸国や夏季、避暑地などでは、白の上衣を着用する場合がある。どの場合も、襟はショールカラー(ヘチマ襟)または剣襟で、拝絹を付ける。上衣の合わせはシングルブレストでもダブルブレストでもよいが、シングルの場合は上衣と共布または拝絹地の黒チョッキか、黒絹のカマーバンドを着用する。ズボンは上衣と共布の黒またはミッドナイトブルーを用いる。ただし、上衣が白の場合は黒を用いる。脇に拝絹の側章(テープ)を1本縫い付ける。裾は折り返さず、ベルトは不可で、ズボン吊りを使用する。黒の蝶ネクタイを付ける。カマーバンドをする場合は、通常蝶ネクタイとカマーバンドは共布とする。黒の靴下に黒総エナメルの短靴かパンプスが正式だが、ドレッシーなデザインのキッドやカーフの黒短靴を履く場合も多い。ポケットチーフは白絹または白麻とするが、上衣が白の場合は黒絹を用いることもある。カフリンクスは、黒オニキス黒蝶貝が一般的で、台は銀や金などだが、シャツにスタッドボタンを使う場合はそれと合わせる。手袋や帽子はほとんど使用されない[17]
ドレス・コードの歴史フランスの宮廷服(1774年?1793年、メトロポリタン美術館蔵)[18]

このようなドレス・コードの基礎は、17世紀フランスにおいて発生したと考えられている。絶対王政時代のフランスでは、国の秩序を守るため、貴族は爵位の別によって明確に服装が区別され、また上流階級の流行が下層階級に及ぼす影響も大きかった。この時代のドレス・コードは、「宮中服」(ローブ・デコルテローブ・モンタント)と「略服」(ネグリージェ)に大別され、「略服」は、宮中以外で着る衣服全般を指す。ウェストコートやクラバァット(ネクタイの祖)が一般化したのも17世紀末のフランスである[19]モーニング・コート(1880年頃、ロサンゼルス・カウンティ美術館蔵)[20]

T.P.O.によって衣服が明確に区別されるようになったのは、19世紀に入った1815年頃からである。18世紀末から19世紀初めにかけて、イギリスの社交界におけるボー・ブランメルの活躍により、黒色の男性服が徐々に一般化し、1818年にはこの傾向が確立した。


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