「正義」のその他の用法については「正義 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
ブラジル・ブラジリアにある最高裁判所の前で、アルフレド・セスキアッティ
正義(せいぎ、英: justice、仏: justice、独: Gerechtigkeit、羅: j?stitia、希: δικαιοσ?νη)は、明治以降「義」に代わって使用され[1]、倫理、合理性、法律、自然法、宗教、公正などに基づく道徳的な正しさ[要出典]に関する概念である。対義語は「不義」。正義の実質的な内容を探究する学問分野は正義論と呼ばれる。広義すなわち日本語の日常的な意味においては、道理に適った正しいこと全般を意味する。以下では、もっぱら西洋における概念(すなわちjusticeないしそれに類似する言葉で示されるもの)を記述する。東洋のそれについては義のページを参照。 報復的正義 修復的正義(restorative justice 配分的正義(distributive justice
分類
報復的正義
修復的正義
配分的正義
配分的正義の特徴は、各人が何らかの事物に対する自己の相応しさに応じてそれを比例的に持つことを目標とする点にある。例えば、平等主義は、各人が何らかの対象を平等に(すなわち1:1で)持つべきであるとする立場であり、各人に各人のものを配分するという形式的指図の実質化である。
このような基準は様々に考えられ、例えば、労働の対価を労働時間に応じて配分すべきだという基準が採用されるときには、2時間労働した人は1時間労働した人の倍額を受領するべきであり、また、労働の対価を実際の労働量に応じて配分すべきだという基準が採用されるときには、1時間で10個の製品を作った人は同じ時間で同質の5個の製品を作った人の倍額を受領すべきことになる(正当対価ないし正当価格の問題)。
このような多様性のため、新カント派のラートブルフのように、配分的正義を理念として掲げながら、価値相対主義にもとづいて、その実質的内容を不問とする考え方もある。これによって加害者と正義とは、一旦崩されたあるべき状態を回復すること、あるいは、己のもつ正しい状態に戻すこと。このようなニュアンスは、英語の「正義」justiceに対応する形容詞が「ぴったり」「ちょうどよい」justという用法を持つことに現れている。
これらの区別はアリストテレス以来、西欧哲学においては伝統的なものとなっている。配分ないし匡正の対象は多様であり、財産、権力、名誉などがこれに含まれる。 匡正的正義とは、一旦破壊されたあるべき状態を回復すること、すなわち、各人が持っているべきものを奪われたとき、あるいは、各人が持つべきでないものを持っているときに、それを返還したり放棄したりするように働きかけることである。 匡正的正義の典型的な例として、損害賠償や不当利得がある。匡正的正義の特徴は、各人が不正に失ったり受け取ったりしたものを、算術的計算によって再受領ないし返還しなければならないという点にある。 例えば、AがBから100万円を盗んだときには、利息などを考慮しない限りにおいて、同額の100万円を返還しなければならない。 プラトンは、ソクラテス以前の自然哲学が抱いていた関心を離れて、人間および人間社会の正しさというものを体系的に論じた人物である。彼の正義概念は『国家』においてソクラテスの口を借りて論じられており、彼によれば正義とは、個人あるいは共同体の中で調和が完成されていることに他ならない。ここでプラトンは、正義には個人の正義と国家の正義があると述べているけれども、そのあり方は基本的に一致するとされる[3]。
匡正的正義
正義論
古代
プラトン