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正史(せいし、特に後述する「断代史」の形式をとる正史)とは、
東アジア諸国において、主に国家によって公式に編纂された自王朝以前の歴史書のことである。中国の二十四史が代表的なものとしてあげられる。漢籍の四部分類では「史部正史類」に分類される。[1]
その国の政府が正統と認め、対外的に主張し、また教育する自国の政治の流れ。
以下では主に1.について述べる。対義語は野史(民間で編まれた史書)。 その名から「正しい歴史」の略語と勘違いされることもあるが、中国文学者の高島俊男が「正史の正は正しいの意味ではなく、正式の正である」と述べた[2]ようにあくまでその時代の政府によって作られた歴史書であり、野史よりは正確であるとされ、歴史著述の基礎史料とされる。しかしながら、政府に都合の悪いことは記さなかったり、或いは抜け落ちた史実もあるため、歴史学的には正史だからといって正確性が保証されたものではないとされる。 正史は果たして信じるべきか否かも古くから議論されていた。清の歴史学者の趙翼は二十二史箚記に於いて正史どうしが撞着していることがあること、こういう場合は史料を検討して史実を判断すべきだと説いた。趙翼は正史は野史から作られたもので、「正史に採用されず、野史にのみ残ったものは史料価値が低い、だから正史を基礎として判断すべきだが、正史同士で食い違いが生ずる場合は検討して判断するしか無い」と述べている。[3]更に時代が進んで現代の歴史学になると、正史そのものも疑わしいとか、特に古代史においては考古学の成果も見るべきだということになった。以下、その例を挙げる。 なお、正史に相対するものは一般的には偽史ではなく野史(民間で編まれた史書)である。いずれにせよ、歴史の事実を引き出すには歴史学の手法に則った厳密な史料批判、科学的な測定による精査が必要である。 中国では、当初は『春秋』のように編年体の史書が一般的であったが、司馬遷の著した『史記』以来、紀伝体が盛んに行われるようになった。史記を継いで前漢王朝一代の歴史書とした班固の『漢書』からは王朝ごとに時代を区切った紀伝体の史書(いわゆる「断代史」)の体裁が流行した。
概要
正史の信憑性について
日本最古の正史は『日本書紀』であるが、文献史学的にも津田左右吉によって架空の天皇の事績が書かれていると疑われており、[4]20世紀以降の天文物理学的な見地や放射性炭素年代測定を用いた科学的な測定により、相当量の虚構が含まれていることが明らかになっている。
正史史記の「夏本紀」「殷本紀」「周本紀」は中華思想の正統概念によって書かれている為、秦漢以降の統一王朝のような書かれ方をしているが、実態は都市国家だったはずで、甚だ疑わしい。特に「夏本紀」は洪水制圧の神話が主となっており、夏王朝の遺跡はまだ発見されておらず歴代夏王の実在性すら疑わしいと岡田英弘は指摘している。[5]
正史明史の「日本伝」は戦国時代の日本について書かれたものであるが、「豊臣秀吉は薩摩の人で、木の上に住んでいたので木から降りてきて木下人を名乗った」「織田信長は山城を本拠地としていた」など、日本史に関する基礎的な誤りが非常に多い。現代の歴史学者鄭?生
中国の正史