歌劇「沖縄」
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歌劇「沖縄」(かげき おきなわ)は、1960年代後半にうたごえ運動の活動家たちが、日本共産党の組織的な指導と援助のもとで集団創作と全国上演運動を行った、日本のオペラである。作品名は通常、"歌劇"と"「沖縄」"が一体連続の形で、"歌劇「沖縄」"と称され、表記される。
集団創作の経緯歌劇「沖縄」第1次全国ツアー公演 プログラム 表紙(1970年)歌劇「沖縄」パート譜初版 表紙(1969年)歌劇「沖縄」全幕台本 第一稿 表紙(1968年)

歌劇「沖縄」の制作目的は、当時米軍占領下にあった沖縄の「基地無し・核兵器無し全面返還」と、1970年の日米安保条約自動延長の阻止・条約廃棄を求める国民運動(70年安保闘争)を、音楽作品の集団創作と全国上演活動をつうじて組織することであった。

1967年8月20日、第4回日本のうたごえ実行委員会は、アメリカのベトナム侵略最前線基地である沖縄を主題としたオペラを創り、沖縄の即時無条件返還と、日本独立のための闘いを発展させようとの方針を打ち出し、"オペラ「沖縄」(仮題)制作実行委員会" を設置。1967年日本のうたごえ祭典での演奏発表を目指して、集団創作の呼びかけを行った。

同年11月27日、1967年日本のうたごえ総会で特別決議。歌劇「沖縄」全曲を1968年6月までに完成させることを目標とし、そのために、
各加盟サークル合唱団に歌劇「沖縄」の専門部を設け、

「制作ニュース」を発行・普及して多くの創作活動家の結集を促し、

制作・上演のための資金カンパを全国的におし進め、

日本全国で上演活動を起こすこと、を決定した[1]

歌劇「沖縄」制作実行委員会に加盟したのは、労音、統一劇場(現代座の前身)、日本民主青年同盟中央音楽院など、おもに日本共産党との関わりが深い諸団体であった[2],[3],[4]
日本共産党による歌劇「沖縄」制作上演への組織的指導と援助

日本のうたごえ実行委員会常任委員会事務局長であった藤本洋は、1972年、歌劇「沖縄」第2次全国ツアー公演に関連して、日本共産党の地方組織による指導のあり方を、同党全国活動者会議(1972年1月18?20日開催)で次のように報告している。

? サークルを指導するばあい、これを組織面から指導しようとする傾向がつよいのですが、党支部は、サークル活動の内容指導もする必要があります。この点で、たとえば、うたごえの人びとが歌劇「沖縄」を全国的に連帯してとりあげていますが、これについて、ある県ではいま思想攻撃のつよまるなかで、「これは文化と文化のたたかいだ、きみたち勇気をもってやれ」、と県委員会からはげまされています。それで、やれるかどうかと思っていた人たちも、勇気百倍してとりくみました[5]

1972年、日本共産党大阪府委員会文化部長 熊野雄次郎は、第2次全国ツアーの大阪公演(同年3月22・23日、大阪厚生年金会館大ホール)を控え、同府委員会機関紙「大阪民主新報」の読者に向けて、公演成功のために来聴することを呼びかけた。

? いま全国的に、歌劇「沖縄」の第2次公演がおこなわれています。大阪では、沖縄返還同盟、大阪文化団体連絡会議、関西音楽舞踊会議、大阪労音大阪うたごえ協議会などが中心となり「上演実行委員会」をつくり、公演を成功させるために懸命な努力をおこなっているようです。この歌劇「沖縄」の公演内容は1953年に沖縄の伊江島・真謝部落で実際におこった、米軍による農地の取り上げに反対する農民のたたかいを中心に、沖縄全土に広がった「一坪たりともわたせない」という県民の不屈の物語を、新星日本交響楽団管弦楽にのせ、声楽家中沢桂、瀬野光子さん、関西合唱団などが合唱でうたいあげるという現代歌劇です。この歌劇は、第1次公演のときも「みていて、聞いていて、沖縄県民の根づよい勇気と天与の明るさを感じ、苦しみと怒りがわいた」という感想がよせられ、観劇者のなかに非常に大きな感動をよんだものです。第2次公演では、さらに、第1次公演の内容を改作し、演奏創造を発展させているといわれ、いま平和を愛する大勢の音楽家たちが、ひとつに結びあって、演奏力量を高める努力を日夜おこなっているようです。このように、平和で健康な音楽であり、沖縄返還をめざす今日の沖縄のたたかいをつづった歌劇「沖縄」を一人でも多くの人が観劇し、公演が成功するよう、読者のみなさんに訴えます[6]

第2次全国ツアー公演の終了後、藤本洋は、日本共産党および民主青年同盟の地方組織が果たした役割を、次のように記している。

? 歌劇「沖縄」第2次全国公演は、6月15日、東京渋谷公会堂で満員の聴衆の熱気あふれる拍手と声援のうちに幕を閉じた。今回の第2次公演は、北は帯広から南は長崎にいたる全国26都市で行われたが、どの会場も舞台と聴衆が一つにとけ合い、割れんばかりの拍手の中で公演が行なわれ、その聴衆は5万4千人を越えている。この数は、一昨年行われた第1次公演の1回あたり200人を上回る数であり、一般的には再演が大変困難な状況の中では一つの驚きでもある。日本における創作オペラ上演が一度には数回しか可能でない状況から見ると、日本のオペラ運動の上にも意義をもつものと、わたしたちは自負している。


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