歌のトップテン
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歌のトップテン
1988年まで番組の生放送が行われていた
渋谷公会堂(2015年11月撮影)
ジャンル音楽番組
構成玉井冽
宮田和実
矢頭浩
ディレクター高木章雄
長谷川賢一
土屋泰則ほか
演出吉岡正敏
司会者(初代)
徳光和夫石野真子
1986年4月7日 - 1987年3月30日
(2代目)
和田アキ子島田紳助
1987年4月6日 - 1990年3月26日
出演者(リポーター)
堀敏彦吉村明宏
音楽永作幸男
国・地域 日本
言語日本語
話数全180回
製作
チーフ・プロデューサー遠藤克彦(制作)
プロデューサー吉岡正敏、増田一穂
製作日本テレビ

レギュラー放送
放送局日本テレビ系列
映像形式4:3
音声形式ステレオ放送
放送国・地域 日本
放送期間1986年4月7日 - 1990年3月19日
放送時間月曜日 20:00 - 20:54
放送枠トップテンシリーズ
放送分54分

今夜で最後!すべて見せます
紅白歌のベストテンから歌のトップテン
さよなら・ありがとう
出演者徳光和夫
堺正章
榊原郁恵
和田アキ子
島田紳助ほか
放送局日本テレビ系列
映像形式4:3
音声形式ステレオ放送
放送期間1990年3月26日
放送時間月曜日19:00 - 20:54
放送分114分

番組年表
前作ザ・トップテン
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『歌のトップテン』(うたのトップテン)は、1986年4月7日から1990年3月26日まで、日本テレビ系列局ほかで毎週月曜日20:00 - 20:54(JST)に生放送された日本テレビ製作の音楽番組。製作局の日本テレビでは1986年4月7日から1990年3月26日まで放送。4年間における放送回数は約180回。
概要

ランキング歌謡番組『トップテンシリーズ』の第3弾として、前番組『ザ・トップテン』をリニューアルする形でスタートした。東京・渋谷公会堂からの公開生放送だったが、前番組同様に別の会場や日本テレビGスタジオを使うこともあった。後述する事件を機にGスタジオから非公開生放送の回が増え、末期はほぼ非公開になった。なお、放送期間・回数やランクイン回数等のカウントは『ザ・トップテン』時代を含めて計上される事が多かった。
リニューアルされた点

順位発表が過去3週の折れ線グラフになった(ザ・トップテン末期より継承)。

歌手登場がスライド式ドアから、ランキングボードが観音開きするドアに変更
[注 1]。Gスタジオでの放送時は当初は渋谷公会堂など他会場での公開放送時と同じセットを使い、徳光・石野時代は観客席も設けて他会場同様に有観客形式を取っていたが、和田・紳助時代は当初からGスタジオでの放送時に限り非公開・無観客での放送を行い、非公開への完全移行まではそれまでと同じく公開放送のセットを使用していた。その後、Gスタジオでの非公開への完全移行に際して使用を始めたセットはドアが設けられず、セット左手の入り口から登場する形式になっていた。最末期にセットを再び変更した際には再度スライド式ドアが設けられた。

和田・紳助時代に変わって暫く経った1987年5月11日までは、オープニング終了後司会者は既にスタンバイしているいわゆる「板付き」で番組本編が始まっていた[注 2] が、翌週の同年5月18日からは先述の観音開き式ドアから専用ジングルと共に司会者が登場して本編開始となっていた。ただし、Gスタジオから非公開で放送する際は今まで通り「板付き」の状態だった。


新年最初の放送は「夢のトップテン」と題してリクエストのみのランキングを発表していた。

『ザ・トップテン』では初登場の儀式として写真撮影をしていたが、『歌のトップテン』への刷新と司会が徳光・石野に変更するにあたりいったん廃止された。その後、司会が和田・紳助に替わってしばらく経った1987年5月25日から初登場の儀式が復活し、和田との握手になる。握手した歌手が和田の手の大きさに驚いたりするシーンが見受けられた(一度出演した歌手が別の名義やグループでランクインした場合ももう一度握手をする)。

NTV紅白歌のベストテン』から行われていた日本テレビの本社スタジオからのアナウンサーによる進行部分が無くなり、これに伴い『ザ・トップテン』からの11位以下の順位の発表もVTRによるものに変わる[注 3]。なお、徳光・石野時代はアルバムトップテンと11位以下のランキングの発表を『ザ・トップテン』の「話題曲コーナー」にあたる部分と統合させて「今週のインフォメーション」というコーナーにしていた。

同様の理由から「ザ・トップテン」で番組エンディングにスタジオから行っていたリクエスト募集の告知も変更された。この番組では徳光・石野時代はアルバムトップテンと11位以下のランキングの発表後に会場から司会者が告知していたが、和田・紳助時代はエンディングのスタッフロール終了後と最後のCMの間に移動。アルバムトップテンと11位以下のランキングの発表を読み上げたアナウンサーが読む形をとった。それまでと同様に、毎週30名に番組提供スポンサーからの賞品がプレゼントされた[注 4]。なお、CSでの放送時にはカットされている(徳光・石野時代はそのまま放送)。

出演者

メイン出演者代(放送期間)司会者リポーター
初代
1986年4月7日 - 1987年3月30日徳光和夫石野真子堀敏彦
(現テレビ新潟アナウンサー)
2代目
(1987年4月6日 - 1990年3月26日和田アキ子島田紳助堀敏彦、吉村明宏


上記リポーターは中継に出ない場合、生放送の会場に出演。

和田・紳助時代には毎年8月末に和田が夏季休暇で海外に行くことが恒例となっていたが、殆どの場合代打は立てず紳助と堀・吉村で対応していた。1989年の夏季休暇時には『紅白歌のベストテン』『ザ・トップテン』の司会者で、事務所の後輩にあたる榊原郁恵が一夜限りで復帰している。
1988年から生放送が行われた日本テレビ旧社屋(東京・麹町
ランキングの決定方法

『ザ・トップテン』時代とランキングの決定方法は変わっておらず、「シングルレコードの売り上げ」・「有線放送のランキング」・「ネット局のデータ」・「視聴者からのリクエスト」の4つのデータ[注 5]を合わせたランキングを発表している。
オープニング

第0代(初回限定、1986年4月7日)
横浜桜木町駅前に造られた、当時放送されていた『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』で企画された「元気が出るフェア」の特設会場内に「歌のトップテン」のロゴを表示し、周辺の夜景を空撮して中継した。

初代(1986年4月14日 - 1987年3月)
青色のバックに黄金の光が鏤められたCG。冒頭で黄金色で「歌のトップテン」のロゴを表示(タイトルコールは徳光と石野)、続けて、前週のランクイン10曲のハイライト映像(欠席した歌手は写真のみ)が回転し、その下をダンサーが踊る提供バック。

第2代(1987年4月6日 - 最終回)
黒色のバックにカラフルな音符が飛び交うCGで、冒頭に「歌のトップテン」のロゴを表示。全体構成は初代と同じ。
歴史
徳光・石野時代

1986年4月7日 - 放送開始。初回の1位は
中森明菜の「DESIRE -情熱-」。番組冒頭の徳光と石野の挨拶や番組の簡潔な説明の後、当時徳光が司会を務めていた『ズームイン!!朝!』をネットしていた各局[注 6] の担当キャスターがリレーでVTRコメントで登場した。

1987年3月9日 - 『ザ・トップテン』から数えて300回を迎えており、同日から30日までの4週にわたって300回記念特集が放送された。最終週の30日をもって徳光と石野が降板。この日は90分の拡大スペシャルとして放送し、和田・紳助が引き継ぎで会場に登場。エンディングでは徳光と石野が『男と女のラブゲーム』をデュエットして締め括った[1]

和田・紳助時代

1987年4月6日 - 2代目司会者として
和田アキ子島田紳助が登場。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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