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欽定憲法大綱(きんていけんぽうたいこう)は、光緒34年8月1日(1908年8月27日)に制定された中国初の憲法。
1905年、清朝は、端方、戴鴻慈、李盛鐸、載沢、尚其亨ら五大臣を二つのグループに分け、それぞれ日、米、英、仏、独、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、オーストリア=ハンガリー帝国に派遣して、列強が実施している立憲制度を視察させた。
五大臣は日本と西欧列強を視察した後、各国の立憲政治を考察した資料を整理して提出した。この資料を整理して収合するため、朝廷では1906年、考察政治館を新設した。考察政治館はその後、憲政編査館に改称された。
同年8月末、西太后は調整会議を通じて予備立憲を採択した。光緒帝は9月1日、「憲政を倣って施行する」と言う倣行憲政の皇命を下した。2年後の1908年(光緒34年)8月27日、欽定憲法大綱が頒布された。 1889年2月11日に発布された大日本帝国憲法が基礎にされている。全23条。正文「君上大権」と付録「臣民の権利と義務」に分かれる。 全14条。 全9条。
主な内容
君上大権
大清皇帝は大清帝国を統治し,万世一系,永永尊戴す。
皇上の神聖なる尊厳は侵犯すべからず。
上記の精神に即して皇帝に法律公布、案件交付、議会召集あるいは解散、官吏任免及び禄俸の支給、官吏昇進及び降等のすべての人事、陸海軍の統帥、宣戦布告及び強化、条約締結、官吏の派遣、緊急戒厳令と臣民の自由を制限する命令宣布、この以外に司法審判などの権力を付与する。
臣民の権利と義務.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキソースに欽定憲法大綱の原文があります。
納税、兵役、法律の遵守などの義務。
臣民は法律の範囲内において,言論、著作、出版及び集会、結社等の自由を均しく許される。
臣民は所定の法律に照らされない限り,逮捕、監禁、処罰されない。