欽ちゃんのどこまでやるの!
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欽ちゃんのどこまで笑うの!?」とは異なります。
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欽ちゃんのどこまでやるの!
ジャンルバラエティ番組
企画秋房子
構成(パジャマ党)
永井準
大岩賞介
詩村博史
鈴木しゅんじ
(サラダ党)
君塚良一
鶴間政行
益子強
大倉利晴
  ・
岩城未知男
  ・
秋房子
脚本君塚良一
益子強
岩城未知男
演出一杉丈夫
出演者萩本欽一
真屋順子
藤本正則
斉藤清六
小堺一機
関根勤
ほか
製作
プロデューサー日野裕
皇達也(CP)
制作テレビ朝日

放送
放送国・地域 日本
放送期間1976年10月6日 - 1986年9月24日
放送時間水曜 21:00 - 21:54
放送分54分
欽ちゃんのどこまでやるの!
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『欽ちゃんのどこまでやるの!』は、1976年10月6日から1986年9月24日までNETテレビテレビ朝日)系列で放送された萩本欽一主演のバラエティ番組である。通称「欽どこ」。放送時間は毎週水曜 21:00 - 21:54 (JST) 。
概要

ステージにセットを組み観客を入れた公開録画放送で、ホームドラマのような形式で収録された。舞台となる萩本家は、前期は地方都市のアパートの一室や海辺の町の一軒家、中期はとある農村の一軒家、後期は東京都のアパートという設定だった[注釈 1]。毎回ゲストが1人来客する。

「お茶の間ドラマ」といわれた公開コメディーの設定は以下のとおり。

萩本と真屋が夫婦を演じる。

1977年12月 長男(後に『見栄晴』と命名)誕生。

1978年1月 最初の引越し(目黒区のアパート)。

1978年5月 スタートから3年後、見栄晴3歳になり、人形から子役(西澤祐一郎)に。

1979年2月 三つ子の女の子(後に長女・のぞみ、次女・かなえ、三女・たまえと命名)誕生。その次の週に千葉県の団地に引越し。

1980年4月 茨城県に引っ越す。

1981年 東京都一の橋に引っ越す。この頃から三つ子も人形から子役(星野舞子、星野亜矢、星野真紀)となる。

1982年9月 東北地方のとある田舎の村に引越し、かつ8年後という設定で、大人になった息子と娘たち、見栄晴(見栄晴)、のぞみ(高部知子)、かなえ(倉沢淳美)、たまえ(高橋真美)が登場。三つ子の女の子達はのちにわらべとして歌手デビューする。

1983年以降 のぞみがしばらく出てこなくなる(後述の理由による)。

1985年7月 同年4月からの3か月間の充電を経て東京のアパートに戻ってくる。見栄晴、たまえはしばらく出ず、のぞみも引き続きしばらく出ず、かなえを鳥居かほりが務めていた。

1986年4月 見栄晴(長浜芳弘)、のぞみ(倉橋ルイ子)、たまえ(別所光代)が再登場。かなえも野咲たみこに交代。

番組の主な舞台である茶の間に置かれたカラーテレビ(NECホームエレクトロニクス製、スポンサー)には常に電源が入っており、画面にブルーバック(時期によって赤一色)で番組のタイトル(後に略タイトル「欽どこ」)が映っている。このテレビから突然番組が始まり、アナウンサーが萩本家(と観客や視聴者)に向けてニュースを放送する設定であった。なお、アナウンサーは「いつものアナウンサー」、「不慣れなアナウンサー」(のちに「少し慣れたアナウンサー」に)」を経て、斉藤清六演じる「たよりないアナウンサー」が登場。清六が担当していた「村の時間、の時間」では「あぜ道カット」「バイナララナイバ」などの名言が生まれ、その後は「ほんとのアナウンサー」であるテレビ朝日アナウンサー・藤井暁に交代した。清六時代を除き、そのアナウンサーがスポンサー読み上げを行った。前期では、当時萩本が出演していた小西六写真工業(番組初期の筆頭スポンサー)の写真フィルム「サクラカラー」の広告がこのテレビから毎週そのまま流された。またこのテレビから時々、近所のニュースが流れる(殆どが萩本家に絡むものであった)。

また、あらかじめ食事の内容(献立メニューは5種類)を見せて、ゲストがどの順番で食べていくかを萩本と谷啓対一般出場者が対戦形式で推理する「推理ドラマ」というコーナーもあった(のちに一般出場者同士、さらに一般出場者ペア同士の対戦となる)。正解した数の多い方が勝利となるが、5つ全問正解だと外国旅行がプレゼントされた。正解のBGMは「○○ペア 大当たり」や「みなさんみなさん 大当たり」というコーラスが流れる。最後の食事の献立は、萩本が「○○はどうだ」という。

初期では、エンディングの前に「名作劇場」というシリアスな内容のミニドラマのコーナーが存在した。このミニドラマの演出は萩本が担当していた。

この他にも前期には「世界で一番短いドラマ」(一枚の写真に視聴者がタイトルを付けて投稿、そのタイトルの面白さを競う視聴者参加型コーナー)、「ホームドラマ」(ホームはホームでも、日本のどこかの駅のプラットホームの風景を毎回紹介するもの)といったミニコーナーが存在した。

1978年8月30日に放送100回を突破した際は三木のり平を迎え例外的に全編時代劇であった。

1980年8月6日に放送200回を突破。

最盛期には平均視聴率が30%台を記録。最高視聴率は42.0%(1983年6月22日放送)。それまでドラマや映画を中心とした大人向けの番組が主流であった夜9時台に、1時間のファミリー向けバラエティ番組が進出する先駆けとなった番組のひとつである。

1982年に、番組は大幅なリニューアルを敢行。「○○ドラマ」等を取りやめ、これまで子役タレントが担当した見栄晴と、「萩本家の3人娘」が中高生となって成長していくようになったので、番組ではそれを決めるオーディションを実施。「3人娘」(のぞみ・かなえ・たまえ)からなるユニット「わらべ」が1983年「めだかの兄妹」でデビューし大ヒット。その後も1984年に「もしも明日が…。」「時計を止めて」をそれぞれヒットさせている。その3人娘の名称は、「希望(望み)叶えたまえ」を一つずつ切り離したことに由来している。

1983年、のぞみ役の高部がニャンニャン事件の影響でわらべを脱退し番組降板。以降のぞみ役は空席となった。

1985年3月で萩本の充電期間のために萩本と真屋が一旦降板、藤本、わらべの残る2人は降板し、その間には生放送で小堺と関根と男闘呼組が担当した。

1985年7月のリニューアルで、萩本と真屋の二人は復帰、3人の子供たちを新キャストで再スタート。小堺一機鳥居かほり藤井暁によるサンドイッチが結成され、レコードが発売された。しかしこのリニューアルはとくに見栄晴と3人娘の役が総入れ替えとなってしまったことが視聴者から受け入れられず[注釈 2]、4月以来の視聴率低下に歯止めがかからなくなってしまい、[注釈 3]結局1986年9月24日の放送をもって10年の歴史にピリオドを打った。最終回ではエンディングでゲストの堀内孝雄が萩本のために作った「欽ちゃんの唄」を熱唱した後、萩本ら出演者が最後の挨拶をして番組を締めくくった。

1986年4月、エンディングテーマ曲が「ハンリーラ」(唄:堀内孝雄・倉橋ルイ子)に変わると、最後のCM明けにおける提供クレジットでは、そのインストをBGMとして、観客からの拍手とともに出演者全員が横に整列して手を振りながら幕が画面いっぱいにまで下りていくという演出だったが、最終回では「もしも明日が…」の終端部分をBGMに乗せながら、観客が総立ちするシーンで終了となった。ただ、両者とも「欽ちゃんのどこまでやるの! 終」のエンドテロップは出なかった。
出演者


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