欧州安全保障協力機構
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この項目では、欧州安全保障協力機構について説明しています。医療教育については「OSCE」を、CSCE(欧州安全保障協力会議 1972年の準備会議から1994年まで)については「全欧安全保障協力会議」をご覧ください。

欧州安全保障協力機構

ロゴ

事務局ウィーン
公用語英語
フランス語
ドイツ語
イタリア語
ロシア語
スペイン語
形態国際機関
加盟参加国57カ国
協力パートナー11国
指導者

? 事務総長 ヘルガ・シュミット
? 民主制度・人権事務所 マテオ・メカッチ
? 少数民族問題高等弁務官 カイラト・アブドラクマノフ
? メディアの自由に関するOSCE代表 テレサ・リベイロ
? 議長 イアン・ボーグ
設立

全欧安全保障協力会議 1973年7月
ヘルシンキ宣言 1975年7月30日 ? 1975年8月1日
? パリ憲章 1990年11月21日
? 欧州安全保障協力機構へ改称 1995年1月1日
面積
? 合計50,119,801 km2 (19,351,363 sq mi)
人口
? 2020年の推計13億人[1]
? 人口密度25/km2 (64.7/sq mi)
GDP (名目)2020 推計
? 合計44.5兆米ドル[2]
? 一人当り34,500米ドル
ウェブサイト
osce.org
OSCEの全加盟国と協力国(2012年)
.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{}  ヘルシンキ宣言とパリ憲章(英語版)署名国   ヘルシンキ宣言のみの署名国   上記以外の加盟国   協力国OSCEの常設理事会(2005年、ウィーンホーフブルク宮殿にて)

欧州安全保障協力機構(おうしゅうあんぜんほしょうきょうりょくきこう、英語: Organization for Security and Co-operation in Europe、OSCE)は、ヨーロッパ北米中央アジアの57か国が加盟する、安全保障分野で世界最大の政府間組織である[3]。1992年以降の事務局所在地はオーストリアウィーン[4]
概要

協調的安全保障の枠組みにおいて早期警戒、紛争予防、危機管理、紛争後の復興を通じて、加盟国間の相違を橋渡しし、信頼醸成を行う国際機関である[5]。経済・環境、人権、人道分野における問題も安全保障を脅かす要因となるとの考えから、安全保障を軍事的側面のみならず包括的に捉えて活動する(包括的安全保障)[3]民主主義法の支配の確立が安全保障上不可欠であるとの観点から、選挙監視活動を重視している。アメリカの「ヘルシンキ委員会」の影響もありOSCE議員会議が制度として充実している[6]

1972年の準備会議と1973?75年の本会議により、全欧安全保障協力会議(CSCE)として発足した。3度の再検討会議、3つの首脳会議を経て、冷戦終結後、民主化支援、紛争防止とその解決へ向けた新機構として1995年に現在の名称に変更した(詳細はCSCEを参照)。

国際連合総会オブザーバー資格を有する[7]

北大西洋条約機構(NATO)や欧州連合(EU)とは異なり、平和維持活動等に派遣する実力部隊・実行手段は持たない。狭義の安全保障分野のCSBMなどの履行監視に加え、人権・民主主義を扱う人的側面(human dimension)の分野が充実しており、ワルシャワではODIHR主催により毎年「人的側面履行会議」(HDIM)が2018年まで開催されていた[8]
歴史(CSCEからOSCEへ)

(1994年までのCSCE時代の詳細については、CSCEを参照)

OSCEの起源は、1970年代初頭の冷戦緩和期に、東西間の対話と交渉のための多国間フォーラムとして全欧安全保障協力会議(CSCE)が設立されたことに遡る[9]

CSCEは、1975年8月1日に「ヘルシンキ宣言」を採択した[10]国家主権の尊重、武力不行使国境の不可侵、領土保全、紛争の平和的解決、内政不干渉、人権と諸自由の尊重などの原則、信頼醸成措置の促進など重要な項目に関する合意であった。

1989年、ベルリンの壁崩壊を機に、東欧諸国で相次いで共産主義国家が崩壊した。1989年12月、ミハイル・ゴルバチョフジョージ・H・W・ブッシュは、マルタ会談で冷戦の終結を宣言した。1990年にはソビエト連邦からリトアニアラトビアが独立し、ソ連崩壊の兆しがみられた。この流れを受け、CSCEの役割も変化することとなった。

1990年11月、東欧旧共産圏を含む欧州各国ほぼすべてに加え、ソビエト連邦、アメリカ合衆国、カナダのCSCE全参加国首脳の参加したパリ首脳会議において、パリ憲章(英語版)が採択された[11]。この憲章は、法の支配表現の自由を尊重しつつ、自由、正義、平和の基礎となる民主主義を尊重する参加国の義務を盛り込むものであった。また、それまで会議の連続体であったCSCEの新たな役割と制度・組織化(事務局設置など)が規定された[12]

1994年12月、ブダペスト首脳会議での決定により、名称が欧州安全保障協力会議から欧州安全保障協力機構(OSCE)に変更され、より恒久的な国際機構として活動することとなった[9]
組織と制度
意思決定機関
首脳会議

OSCEの政治的な方向性は、首脳会議において決定される[13]。定期的に開催されるものではなく、必要に応じて開催される。前回の首脳会議は、2010年12月1日、2日にカザフスタンアスタナで開催された。
OSCE閣僚理事会

参加国の外務大臣による会合で、OSCEの中心的な意思決定機関である[14]。毎年12月に開催される。
常設理事会(あるいは常任理事会)

毎週ウィーンで開催され、通常の交渉・意思決定機関として機能している[15]
安全保障協力フォーラム

欧州の軍事的安全性と安定性を高めるために活動している。軍事情報の交換や国家間の相互検証を規制する安全保障構築措置、治安部隊の民主的統制を確保する重要文書である行動規範の実施を支援している[16]
実行機関
民主制度・人権事務所(ODIHR)

1991年設立。ポーランドワルシャワに本部を置き、選挙監視、民主的発展、人権、寛容と非差別、法の支配、ロマとシンティ問題などの分野でOSCE地域全体で活動する[17]。1995年以来、300以上の選挙と国民投票を監視し、5万人以上のオブザーバーを派遣した。人的側面履行会議を定期的に開催する。
メディアの自由に関するOSCE代表

1997年12月設立。OSCE参加国における表現の自由の侵害について早期に警告を与える監視役として活動[18]
少数民族高等弁務官(HCNM)

1992年7月8日、ヘルシンキ首脳会議において創設された。参加国間の平和、安定、友好関係を危うくする可能性のある民族的緊張を特定し、早期解決を図る[19][20]。初代の高等弁務官は、ファン・デア・ストールである[20]
OSCE ミンスク・グループ

ナゴルノ・カラバフ戦争の平和的解決に向けた活動[21][22]。フランス、ロシア、米国が共同議長を務める。
履行監視機関

人的側面履行会議(IMHD)

毎年9月にODIHRのあるワルシャワで開催され、各国の人権・民主化規範の履行状況について報告、協議されていた。2020年はコロナ禍により開催されず、また2021年はロシアの反対により議題設定に入られなかった[23]
その他
OSCE議員会議

事務局はコペンハーゲンにあり、参加国の議会代表からなる。独自の選挙監視や現地調査等を行う[24]
プラハ文書センター

CSCE/OSCEのアーカイブとして1992年に設立された。1990年のCSCE事務局(ウィーンへの移転前)の建物内にあり、プラハ市内で数度移転している。
現地活動

OSCEのスタッフと資金のほとんどは、東南ヨーロッパ東ヨーロッパ南コーカサス中央アジアにおけるOSCEの現地活動(field operation)に配分されている[25]

これらの活動は、参加国のコンセンサスによって合意された、オーダーメイドの職務権限を持つ。ホスト国の同意があって初めて設立される(逆に言えば、ホスト国が拒絶すれば外国人職員のビザが更新されず、あるいは常任理事会で反対が見込まれることとなり、撤退に追い込まれる)[6]。中には、本部に加え、現地事務所、地域センター、研修センターなどをホスト国に置くものもある[25]。ホスト国のニーズに対応した具体的なプロジェクトを通じて、ホスト国がOSCEの公約を実践し、現地の能力を育成するのを支援する。これには、法執行、少数民族の権利、法改正、法の支配、メディアの自由、寛容と非差別の促進、その他多くの分野を支援するイニシアチブが含まれる。

OSCEの紛争予防センター(CPC)は、現地活動の設立、再編、閉鎖を計画する役割を担っている[26]。CPCは、現地におけるOSCEの活動の支援と調整、分析と政策助言の提供、現地活動、事務局、OSCE議長国間の連絡役としての役割を担っている。
実施中

アルバニア駐在[27](1997年 - )

ボスニア・ヘルツェゴビナ ミッション[28](1995年、デイトン合意以降)

コソボ・ミッション[29](1999年 - )

モンテネグロ・ミッション[30]

セルビア・ミッション[31](2001年 - )

スコピエ・ミッション[32](2001年 - )オフリド合意(マケドニア共和国、現北マケドニア共和国との合意)締結

モルドバ・ミッション[33](1992年 - )トランスニストリア戦争、紛争凍結や民主化支援[34]

ミンスク会議紛争処理に関するOSCE個人代表[35](1995年 - )ナゴルノ・カラバフ戦争


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