次長課長
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メンバー井上聡
河本準一
別名次課長
結成年1994年
事務所吉本興業
活動時期1995年 -
出身NSC大阪校13期
出会い岡山市立京山中学校
旧トリオ名次長課長社長
現在の活動状況テレビ・ライブなど
芸種コント漫才
ネタ作成者両者
過去の代表番組シルシルミシルさんデー
火曜サプライズ
Goro's Bar
今田ハウジング
雨ニモマケズ
アッパレやってまーす! など
同期ブラックマヨネーズ
徳井義実チュートリアル
野性爆弾
シャンプーハット
佐藤哲夫パンクブーブー)など
公式サイト公式プロフィール
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次長課長(じちょうかちょう)は、吉本興業東京本社に所属する日本お笑いコンビ1994年4月結成、NSC大阪校13期出身。略称は次課長(じかちょう)。当初はトリオだったため、グループ名は『次長課長社長』であった。その由来は大阪府で2人がアルバイトしていた居酒屋で、社員だった次長課長にお金をもらい、励まされたことから。2人とも岡山県出身。
メンバー詳細は「井上聡」および「河本準一」を参照
井上 聡(いのうえ さとし、1976年2月2日 - )(47歳)
ツッコミあるいはボケ担当、立ち位置は向かって右。熊本県玉名市出生、岡山市北区奉還町出身。岡山市立京山中学校岡山学芸館高等学校(旧金山学園高等学校)卒業。身長175cm、体重65kg。血液型B型。愛称はさっとん。喫煙者でヘビースモーカー。は基本的に飲まない。30代前半の多忙な際にストレスによる慢性胃潰瘍を発症。それ以降は体調を優先し、若干仕事をセーブしていることを明かしている。
河本 準一(こうもと じゅんいち、1975年4月7日 - )(48歳)
ボケあるいはツッコミ担当、立ち位置は向かって左。愛知県名古屋市緑区有松町桶狭間出生、岡山市北区奉還町出身。小学校3年から卒業まで[1]津山市に住んでいた時期があるため津山市出身と表記されることもある[2][3]。津山市立津山東小学校[4][5][6]岡山市立京山中学校岡山県立東岡山工業高等学校卒業。身長162cm、体重60kg。血液型AB型。愛称は準ちゃん、ヌルヌル王子。ヘビースモーカーかつ酒豪であったが、急性膵炎を2010年・2015年と2度発症して以降は酒が飲めなくなったため現在は基本的に酒を飲まない[7]。また同様の理由でラーメンや揚げ物も控えている。

近年ではネタでもボケ・ツッコミが逆転する時があるため、はっきりとしたポジションは決めていないという。
略歴・概要
中学・高校時代

岡山市立京山中学時代に野球部で知り合う。遅れて入部した河本が初めて練習へ参加した日、監督が部員に
キャッチボールをするよう言ったにも拘らず1人だけバットを持ってフルスイングしていた井上に話しかけ、一緒にキャッチボールをしたのが2人の出会い。それからは毎日のように一緒に遊ぶ仲になる。

2人はこの中1の頃に出会って以来、今まで一度も喧嘩をしたことがない。


2人とも運動神経は抜群だったが、勉強は苦手だった。中3の頃に8000人が受けた岡山県内の模擬試験で河本が7980位、井上が7982位だった。そのため高校へ進学できるのか先生も悩んだが、井上は野球のスポーツ推薦で私立高校に進学。河本は定員割れの学校を見つけて県立高校へ入学した。

それぞれ違う高校に進学したため一時期疎遠となったが、高校2年時に河本が井上宅へ遊びに行って再会。再び交流が深まり、頻繁に遊ぶようになった。

河本は小学校から9年間サッカーをやっており高校ではチームのキャプテンを務め、国体の岡山県選抜メンバーにも選ばれた。しかし高校2年の秋、ある試合でのシュート失敗が河本のサッカー人生を狂わせ退部を決意。その後は同じサッカー部でクラスメイトでもあった山下正人(のちにトリオを結成)と、これといってお笑いに興味があった訳でもないが『素人名人会』(毎日放送)に出場。漫才を披露し、初挑戦ながら敢闘賞を受賞した。

高校卒業後、河本は就職先が見つからなかったものの井上は親戚が営んでいたガラスサッシの枠を作る会社への就職が決まりかけていた。しかし河本から「吉本に入ろう! ジャッキー・チェンに会えるで!!」と誘われ、そのまま現在に至る。井上を誘った理由は「友達の中で、井上が一番面白かったから」。

大阪時代

2人はNSCに入学するため、18歳で地元・岡山から
大阪へ。

NSCでの面接試験の際、河本は笑いに対する熱い想いを真剣に語って合格するも井上の方は指されず一言も発さなかったにも拘らず受かってしまった(陣内智則曰く、NSCは黙って話を聞いていれば合格できるらしい)。


1994年4月結成。NSC在学中は河本・井上・山下のトリオで『次長課長社長』だったが、1年ほどで "社長" (大阪在住の兄に生活費を援助してもらっていて最も財力があったので社長担当だった)の山下が「岡山に帰ります」と帰省したまま戻らず、そのまま現在のコンビになった。


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