日本の政治家櫻内 義雄さくらうち よしお
1950年ごろ
生年月日1912年5月8日
出生地東京府
没年月日 (2003-07-05) 2003年7月5日(91歳没)
死没地東京都渋谷区
出身校慶應義塾大学経済学部経済学科
所属政党(民主党→)
(国民民主党→)
(改進党→)
(日本民主党→)
自由民主党
称号経済学士(慶應義塾大学)
従二位
勲一等旭日桐花大綬章
勲一等旭日大綬章
紺綬褒章
名誉議員(両院通算)
親族父・櫻内幸雄
叔父・櫻内辰郎
甥・太田誠一
姪孫・福田達夫
孫婿・桜内文城
第67代 衆議院議長
在任期間1990年2月27日 - 1993年6月18日
天皇明仁
第106代 外務大臣
内閣鈴木善幸改造内閣
在任期間1981年11月30日 - 1982年11月27日
第41代 建設大臣
第6代 国土庁長官
内閣福田赳夫改造内閣
在任期間1977年11月28日 - 1978年12月7日
第44代 農林大臣
内閣第2次田中角栄内閣
在任期間1972年12月22日 - 1973年11月25日
第23-24代 通商産業大臣
内閣第3次池田改造内閣
第1次佐藤内閣
在任期間1964年7月18日 - 1965年6月3日
その他の職歴
衆議院議員
(旧東京1区→)
(島根県全県区→)
比例中国ブロック
当選回数 18回
(1947年4月26日 - 1948年12月23日)
(1952年10月2日 - 2000年6月2日)
参議院議員(当選無効)
(島根県選挙区)
(1950年6月5日 - 1951年)
第21-22代 自由民主党幹事長
(総裁: 大平正芳、鈴木善幸)
(1979年 - 1981年)
第25代 自由民主党政務調査会長
(総裁: 三木武夫)
(1976年 - 1976年)
第20代 自由民主党政務調査会長
(総裁: 田中角栄)
(1972年 - 1972年)
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櫻内 義雄(さくらうち よしお、1912年(明治45年)5月8日 - 2003年(平成15年)7月5日)は、日本の政治家。衆議院議員(18期)、衆議院議長(第67代)、外務大臣(第106代)、建設大臣(第41代)、国土庁長官(第6代)、農林大臣(第44代)、通産大臣(第23-24代)、自由民主党政務調査会長(第20・25代)、自由民主党幹事長(第21・22代)。日蓮宗全国檀信徒協議会会長[1]。位階は従二位、勲等は勲一等。
商工大臣、農林大臣、大蔵大臣などを歴任した櫻内幸雄は父、中国電力会長を務めた櫻内乾雄は兄にあたる。 東京生まれ[1]。幼稚舎から慶應義塾に学び、慶應義塾大学経済学部卒業、鐘紡に入社する。1938年応召、翌年除隊。 大蔵大臣の父・幸雄の私設秘書となり、同時に日本電化
来歴・人物
その後、1950年の第2回参議院議員通常選挙で一人区・島根県選挙区で389票差の僅差で当選したが[2]、対立候補の小瀧彬より櫻内の票の中に無効票(義雄の父で、元大蔵大臣の幸雄の名を書いたものが義雄の有効票に数えられていた。)が含まれているとの異議申し立てがあり、小瀧側の訴えが認められた結果、1952年1月に小瀧が当選者となった。1952年の第25回衆議院議員総選挙で、父・幸雄のあとを継いで旧島根全県区から衆議院議員選挙に出馬し、その後連続で当選し17回。
改進党時代には当選同期の中曽根康弘とともに青年将校と称され、自民党内では河野一郎派に属していた。法務政務次官、衆議院外務委員長などを経て、1964年に第3次池田内閣で通産大臣として初入閣を果たす。