櫻井和市
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伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2019年7月)

桜井 和市(さくらい わいち、1902年明治35年)7月11日 - 1986年昭和61年)1月12日[1])は、日本ドイツ語学者。

長野県南佐久郡岸野村(現佐久市)生まれ。
略歴

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出典検索?: "桜井和市" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2024年2月)

1919年 旧制野沢中学(現長野県野沢北高等学校)卒業。1922年 旧制松本高等学校文科乙類卒業。

1925年 東京帝国大学独文科卒業、旧制静岡高等学校教授。1937年 文部省在外研究員としてドイツ留学。

1939年 学習院教授。1950年 学習院大学文学部教授。1955年-1956年 NHKラジオドイツ語講座 講師。1963年 文学部長。1970年-1981年 学校法人学習院院長[2]。「学校法人学習院#歴代学習院院長一覧」を参照
人物

教え子であった三島由紀夫は恩師の桜井和市について、「雷名轟く」とても怖い先生で、「いつも血色よろしく、声量ゆたか、小兵の体?にエネルギーが充満して」いて、生徒たちからは、「桜」の音をドイツ語読みにした「ザク」という「いかにも軍靴で砂利を踏みにじつてゆくやうな音感」の渾名で呼ばれていたと語っている[3]。かういふ怖い先生に怒鳴られつけてゐて、何かの加減でほめられた記憶といふものは忘れ難いもので、Das Madchaen von Treppi といふ小説のテキストを[注釈 1]、いきなり与へられ、予習なしにいきなり読まされて、何とかその一節を訳してゆくと、「フム、フム」といふ合の手を入れて、苦笑ひみたいな笑ひ方をして、檻の中の猛獣みたいに教室の中を歩いてゐる先生の様子が、まづまづ御機嫌の態で、ほつとしたことがあつた。
桜井先生は教室で怖いばかりでなく、教室外でも学生課長で恐怖的であり、ちらつき出した雪の中を、頭から外套をかぶつて歩いてゐると、うしろからいきなり怒鳴られて、あわてて逃げたこともある。 ? 三島由紀夫「ドイツ語の思ひ出」[3]

しかしその一面、膝を突き合わせて話すと、「妙に照れ性で、話題に乏しく、何とか軟らかい、非ドイツ語的な話題」を選んだのか、体を丈夫にする秘訣を教えられ、懐かしく思い出される先生だと述懐し[3]、「今になつて思ふと、苦しさ辛さの記憶はうすらいで、少くとも文法だけは、桜井式恐怖的指導法で詰め込まれるのが、一等ためになるのではないかといふ意見を、私は持つてゐる」と三島は述べている[3]
著書
単著

独逸語話法の研究 大学書林 1934

ドイツ広文典 第三書房 1950.

新ドイツ文典 三修社 1951.

NHKドイツ語入門 日本放送出版協会 1954.

ドイツ文法讀本?改訂増補第3版 編著 南江堂 1956.5.

独和重要語辞典 南江堂 1959.

分詞・不定詞・話法
岩崎英二郎共著 白水社 1959. ドイツ語学文庫

初学者のための独和必修語辞典 南江堂,1961.

たのしいドイツ語 会話・文法5週間 中島悠爾共著 開拓社,1969.

翻訳

エルンスト短篇集 三修社, 1939.10.

幽霊部屋 パウル・エルンスト 弘文堂 1940.

見霊者 
シラー選集. 第1巻 冨山房 1942.

ラオコオン 絵画と詩歌の限界について レッシング 生活社 1948

令嬢エルゼ シュニツラー選集 第3巻 実業之日本社 1951 のち角川文庫 

零八/一五 ハンス・キルスト 桜井正寅共訳 三笠書房 1955.

愛の人びと ザツパー 三笠書房 1956 若草文庫

初恋 ルイーゼ・リンゼル 南江堂 1957.

金糸のヴェール アルベルタ・ロメル 三笠書房 1959.

素朴文学と有情文学について 世界文学大系 シラー 筑摩書房 1959.

涙の学芸会 アルベルタ・ロメル 三笠書房 1959 若草文庫


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