櫻井周斗
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櫻井 周斗横浜DeNAベイスターズ #41
櫻井 周斗
(2017年4月23日撮影)[1]
基本情報
国籍 日本
出身地埼玉県所沢市
生年月日 (1999-06-25) 1999年6月25日(20歳)
身長
体重178 cm
80 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション投手
プロ入り2017年 ドラフト5位
初出場2019年6月7日
年俸570万円(2019年)[2]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


日本大学第三高等学校

横浜DeNAベイスターズ (2018 - )

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

櫻井 周斗(さくらい しゅうと、1999年6月25日)は、横浜DeNAベイスターズに所属する埼玉県所沢市出身のプロ野球選手投手)。左投左打。
目次

1 経歴

1.1 プロ入り前

1.2 プロ入り後


2 選手としての特徴・人物

3 詳細情報

3.1 記録

3.2 背番号

3.3 代表歴

3.4 登場曲


4 脚注

5 関連項目

6 外部リンク

経歴
プロ入り前

2人の実兄の影響で、所沢リトルライオンズで軟式野球をスタート。当初は投手一本で、チーム内に同級生が居なかったことから、小学4年時に所沢ニュータウンヤンキースへ移った。小学校6年時のNPB12球団ジュニアトーナメントで、ヤクルトスワローズのジュニアチームに選ばれたが、左肘を故障したため実際には出場しなかった。

中学校への入学と同時に、新座シニアに入団。途中で左肘を再び故障したため、野手に転向する。3年時に参加したリトルシニア関東選抜で、投手としての素質に目を付けた関東選抜監督(海老名リトルシニア監督)の方針で、投手として東京ドームの日本リトルシニア全国選抜野球大会に登板。前述したブランクがあったにもかかわらず、ストレートで最速135km/hを記録した。

シニア出身の先輩がいた縁で進学した日本大学第三高等学校[3]では、1年秋から右翼手としてレギュラーで出場[4]。2年夏の選手権西東京大会では、打者として5割以上の打率を記録した。しかし、チームの投手陣に故障者が相次いだため、投手に急遽復帰[3]。1学年先輩の坂倉将吾とバッテリーを組んだが、準決勝で敗退した。

2年秋の秋季東京都高等学校野球大会で、岡部仁とのダブルエースとして決勝に進出。早稲田実業高校との決勝で先発を任されると、4番打者の清宮幸太郎から5打席連続で三振を奪った。チームは6 - 8というスコアで敗れたものの、清宮から全打席で三振を奪ったことで、「清宮キラー」として一躍脚光を浴びるようになった[5]

3年時の2017年には、第89回選抜高等学校野球大会へ出場すると、初戦で履正社高等学校と対戦。4番打者の安田尚憲から3打席連続三振を奪いながら、8回途中5失点という内容で、チームは5対12で敗退した[5]。春季東京都大会の決勝で早稲田実業高校との再戦が実現したが、夏の選手権西東京大会での対戦を見越した小倉全由監督の方針で野手として出場。9回に本塁打を放つなど活躍したが、高校野球の試合では珍しく22時を越えるほどの大熱戦を展開した末に、17 - 18というスコアで惜敗した。「早稲田実業を決勝での打倒」「小倉監督の下での優勝」を目標[6]に臨んだ夏の選手権西東京大会では、5回戦まで勝ち上がったが、準々決勝で東海大菅生高校に0 -5というスコアで敗戦。それでも、9月にカナダで開催された2017 WBSC U-18ワールドカップには、日本代表の一員として出場。外野手指名打者を中心に起用されると、3番に清宮、4番に安田、6番に中村奨成が並んだ強力打線の5番打者として3割以上の打率を残すとともに、チームの銅メダル獲得に貢献した[7]。ワールドカップの終了後にプロ志望届日本学生野球協会へ提出した[8]ことを受けて、秋のNPBドラフト会議では、投手として横浜DeNAベイスターズから5巡目で指名[9]。契約金3,000万円、年俸550万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は、自身と同じ左投手の大原慎司がこの年に現役を引退するまで着用していた41。指名後の挨拶で投手として勝負することを志願した[10]ため、入団後は投手として登録されている。

平成29年春季大会
早稲田実vs日大三(2017年4月27日撮影)[11]

同左、(2017年4月27日撮影)

同左、(2017年4月27日撮影)

同左、(2017年4月27日撮影)

プロ入り後

2018年には、二軍で迎えた春季キャンプの練習試合で好投したことを背景に、オープン戦開幕日の2月24日から一軍へ合流。当日の対読売ジャイアンツ戦(沖縄セルラースタジアム那覇)6回表から救援で登板すると、1イニングを無安打無失点に抑えた末に、勝利投手になった。高校から直接NPBの球団に入った新人投手がオープン戦で初登板・初勝利を記録したのは、2000年河内貴哉広島東洋カープ)以来18年振りだが、チーム開幕戦での記録は1990年宮地克彦西武ライオンズ)以来28年振り。DeNAの高卒新人投手によるオープン戦の勝利は、後に内野手として大成する石井忠徳(石井琢朗)が、横浜大洋ホエールズ時代の1989年に3月25日の対西武戦で記録して以来29年振りであった[12]。その後も登板4試合を無失点で凌いだり、北海道日本ハムファイターズへ入団した清宮とのプロ初対戦で三振(通算6打席連続三振)を奪ったりするなど好投を続けた。しかし、チームの高卒新人投手としては石井以来の開幕一軍入りを逃す[13]と、レギュラーシーズン中は二軍生活に終始した。イースタン・リーグの公式戦では、先発を中心に、18試合の登板で2勝3敗をマーク。


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