櫻の樹の下には
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櫻の樹の下には
訳題Beneath the Cherry Trees
作者
梶井基次郎
日本
言語日本語
ジャンル短編小説掌編小説散文詩
発表形態雑誌掲載
初出情報
初出『詩と詩論
1928年12月5日発行・第二冊
出版元武蔵野書院
刊本情報
収録作品集『檸檬
出版元武蔵野書院
出版年月日1931年5月15日
題字梶井基次郎
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『櫻の樹の下には』(さくらのきのしたには)は、梶井基次郎短編小説掌編小説)。散文詩と見なされることもある。満開の桜やかげろうの生の美のうちに屍体という醜や死を透視し惨劇を想像するというデカダンスの心理が、話者の「俺」が聞き手の「お前」に語りかけるという物語的手法で描かれている[1][2]。近代文学に新たな桜観をもたらした作品でもあり、「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」という衝撃的な冒頭文は有名である[3][4][注釈 1]
発表経過

1928年(昭和3年)12月5日発行の季刊同人誌詩と詩論』第2冊に掲載された[6][7][注釈 2]。その後、基次郎の死の前年の1931年(昭和6年)5月15日に武蔵野書院より刊行の作品集『檸檬』に収録された[7]。同書には他に17編の短編が収録されている[8]

翻訳版は、ジョン・ベスター・Stephen Dodd訳による英語(英題:Beneath the Cherry Trees、またはUnder the Cherry Trees)、Christine Kodama訳によるフランス語(仏題:Sous les cerisiers)で出版されている[9][10]
あらすじ

灼熱した生殖の幻覚させる後光のような、人の心を撲たずにはおかない、不思議な生き生きとした美しい満開のの情景を前に、逆に不安と憂鬱に駆られた「俺」は、桜の花が美しいのは樹の下に屍体が埋まっていて、その腐乱した液を桜の根が吸っているからだと想像する。

そして薄羽かげろうの生と死を見て、剃刀の刃に象徴される惨劇への期待を深める。花の美しい生の真っ盛りに、死のイメージを重ね合わせることで初めて心の均衡を得、自分を不安がらせた神秘から自由になることが出来ると、「俺」は「お前」に語る。
削除された最終断章

『櫻の樹の下には』は初出時、4つの断章で構成された作品であったが、刊行本『檸檬』収録時に最終章(冒頭部近くにある〈剃刀の刃〉の話に対応している後半部分)は削られた。しかし、ここをなぜ、梶井が削除したかの理由は明らかではない[1][2][3]。〈剃刀の刃〉の話の削られた後半部分は以下の内容である。――それにしても、俺が毎晩家へ帰つてゆくとき、暗のなかへ思ひ浮んで来る、剃刀の刃が、空を翔ぶのやうに、俺の頚動脈へかみついてくるのは何時だらう。これは洒落ではないのだが、その刃には、

 Ever Ready (さあ、何時なりと)
と書いてあるのさ。 ? 梶井基次郎「櫻の樹の下には」(『詩と詩論』第2冊掲載)
作品背景

※梶井基次郎の作品や随筆・書簡内からの文章の引用は〈 〉にしています(論者や評者の論文からの引用部との区別のため)。
湯ヶ島滞在

梶井基次郎転地療養のため1926年(昭和元年)の大晦日から伊豆湯ヶ島を訪れ、川端康成の紹介で1927年(昭和2年)元旦から「湯川屋」に長期滞在するようになった[1][11](詳細は梶井基次郎#伊豆湯ヶ島へ――『青空』廃刊を参照)。2月中旬頃、大仁に掛かっていた動物の見世物が下田へ移動する際、貨物自動車に載せられない大きなラクダ街道上を歩いていった[12][13][14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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