檜原村
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この項目では、東京都の村について説明しています。福島県にあった村については「檜原村 (福島県)」をご覧ください。

ひのはらむら 
檜原村
払沢の滝


檜原村旗檜原村章
1979年昭和54年)4月1日制定

日本
地方関東地方
都道府県東京都
西多摩郡
市町村コード13307-8
法人番号8000020133078
面積105.41km2

総人口1,849人 [編集]
推計人口、2024年4月1日)
人口密度17.5人/km2
隣接自治体八王子市あきる野市
西多摩郡奥多摩町
神奈川県相模原市
山梨県上野原市北都留郡小菅村
村の木ヒノキ
村の花ヤマブキ
村の鳥ウグイス
檜原村役場
村長[編集]吉本昂二
所在地190-0212
東京都西多摩郡檜原村467番地1
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度43分37秒 東経139度08分56秒 / 北緯35.72681度 東経139.14889度 / 35.72681; 139.14889座標: 北緯35度43分37秒 東経139度08分56秒 / 北緯35.72681度 東経139.14889度 / 35.72681; 139.14889
役場庁舎位置

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檜原街道兜造りの古民家村域(ランドサット衛星写真)

檜原村(ひのはらむら)は、東京都多摩地域西部に位置し、西多摩郡に属する

島嶼部(とうしょぶ)を除いた本州内の東京都における唯一の村。面積は奥多摩町八王子市に次いで、東京都の市区町村で3番目に広い。あきる野市への通勤率は15.5%(平成22年国勢調査)。「桧原村」と書くこともある。
地理

村域のほとんどが関東山地の中にあり、多摩川支流である秋川上流の周辺に集落がある。標高が最も低い地点は、あきる野市との境界線になっている下元郷(しももとごう)の中山沢が秋川へ流入する地点で、海抜224.5m。標高が最も高い地点は、三頭山頂の1531m。村域の9割以上が森林である。中央高地式気候に属し、冬の寒さは都心と比べて厳しく、払沢(ほっさわ)の滝が凍結するほどである。降雪量も東京都心と比べて多くなるため、路面凍結や集落の孤立などの雪害が発生しやすい。

北秋川と南秋川が合流して秋川となる付近を本宿(もとしゅく)と言い、ここが村役場がある中心部である。ここから下流に向けて上元郷、下元郷の地域がある。都道33号檜原街道がこれに沿う。

北秋川に沿って都道205号が通っており、少し遡った所で払沢(ほっさわ)の滝への歩道が分かれる。以後、千足、三都郷(みつごう)、神戸(かのと)、小沢、樋里(ひざと)、笹久保、藤原、中組、倉掛(くらかけ)の地域がある。

南秋川に沿っては都道33号が沿う。笹平、南郷と遡り、上川乗で都道33号が南秋川から離れて甲武トンネルを経て上野原市(旧上野原町)に向かう。以後川に沿う道は都道206号となり(通称は依然檜原街道)、和田、人里(へんぼり)、笛吹(うずしき)[1][注釈 1]数馬(かずま)の地域がある。数馬から奥の道路は奥多摩周遊道路となり、奥多摩町奥多摩湖へ通ずる。

山: 三頭山御前山大岳山、浅間嶺、松生山、三国山生藤山市道山臼杵山

河川: 北秋川、南秋川(秋川

隣接している自治体・行政区

東 -
八王子市あきる野市

北 - 西多摩郡奥多摩町

西 - 山梨県北都留郡小菅村

南 - 神奈川県相模原市緑区)、山梨県上野原市

小菅村とは三頭山付近で隣接するのみである。

なお、青梅市とは御岳山付近で近い距離にあり、あきる野市域もしくは奥多摩町域を挟んで約300mしか離れていない。


歴史
立村前
縄文時代

現在、檜原村村域となっている地域には縄文早期以降、人が住んだ跡が幾つも発見されている[2]。縄文中期になると、現在の檜原村の各集落がある地域にはそれぞれ1家族から3家族程度の規模で人が定住していたと考えられている[3]。縄文期の村域の人口は20人から40人程度であったと推測されている。[4]
古墳時代

古墳時代になると、大陸からの渡来人系の集団が近畿地方から移住したと考えられている。人里(へんぼり)集落の名前の由来は、「フン」「ボル」(モンゴル語で人間を意味する「フン」と、新羅語で集落を意味する「ボル」)が訛ったものではないかとの説もある[5]
橘高安

8世紀頃、河内にいた高麗系の渡来人集団である高安氏と橘戸氏は人里集落の渡来人系集団を頼って来住し、南秋川沿いにある人里から浅間尾根を越えた北秋川沿いに定住した(現在の小岩)。この集団の長は代々「宿辺少将橘高安(やどりべのしょうしょうたちばなたかやす)」を名乗った。
安和の変

北秋川と南秋川を隔てる浅間尾根には、とある高貴な人物の墓所があると小岩集落で口伝されてきた。これについて平安時代安和の変との関係を指摘する意見もある。


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