檀 韶(たん しょう、366年 - 421年)は、東晋から南朝宋にかけての軍人。字は令孫。本貫は高平郡金郷県。 代々京口に居住した。はじめ?州従事として召され、西曹主簿や輔国司馬をつとめた。元興2年(403年)、桓玄が帝を称すると、檀韶は弟の檀祗や檀道済らとともに劉裕の起兵に従って桓玄を討った。元興3年(404年)、建康平定に従い、行参建武将軍事をつとめた。建康が平定されると、檀韶は鎮軍参軍となり、寧遠将軍・東海郡太守の任を加えられた。建武将軍の号に進み、龍驤将軍・秦郡太守に転じ、北陳留郡
経歴
永初2年(421年)、建康で死去した。享年は56。安南将軍・散騎常侍の位を追贈された。
子の檀緒が後を嗣いだが、檀緒が死去すると子がなく、封は除かれた。
伝記資料
『宋書』巻45 列伝第5
『南史』巻15 列伝第5