機帆船
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}画像提供依頼:日本の沿岸海運用の機帆船の画像提供をお願いします。(2010年2月)昭和初期の鮪釣漁船第二昭和丸昭和初期の鮪釣漁船第二昭和丸の図面オーストラリア海軍所属「ワイアット・アープ(en)」。1919年進水の元ノルウェー木造貨物船で、帆装は非常用。

機帆船(きはんせん[1]、英:Motorsailer)とは、推進用の動力として熱機関を併用した帆船である。日本語で狭義に「機帆船」という場合は、外洋航路への無帆装の蒸気船の普及後に、沿岸航路の海運に用い続けられた内燃機関搭載の木造船を指す。補助帆装を有するものが多いが、第二次世界大戦後は、小型鋼船の対義語として帆走設備を持たなくとも在来型木造船なら「機帆船」と呼ぶこともあった。本項では主にこの日本での機帆船に相当する船について解説する。漢字表記は汽帆船とも書き、その場合は蒸気機関を動力として搭載しているものを指す。

蒸気船の開発後も、信頼性や燃料節約のために初期の蒸気船の多くは帆装を残していた。しかし、次第に蒸気機関の力だけで航行する船が多くなっていった。他方で沿岸航路の貨物船漁船などの小型船では、引き続き帆装が残されて機帆船も利用された。搭載機関は初期のものはレシプロ式蒸気機関、後には焼玉機関が多く、ディーゼルエンジンも使用された。帆装型式はスクーナー型やラガー(en:Lugger)型などが見られた。

現代の帆船の多くは無風時の推進と船内機器の電源としてディーゼルエンジンなどを搭載しているが機帆船と呼ぶことはなく、帆船、モーターヨット、ヨットクルーザー、セーリングクルーザーなどと呼ばれる。
アメリカの機帆船保存中のスクーナー型機帆船「ワパマ」。建造時は船首にもマストがあった。

アメリカ合衆国太平洋岸では19世紀から20世紀にかけて225隻のスクーナー型蒸気機帆船が、木材運搬などの沿岸海運に使用された[2]。現在は運航されているものは無く、最後の1隻である「ワパマ(en)」がカリフォルニア州リッチモンドでサンフランシスコ海洋国立歴史公園(en)管理下の保存船となっている。「ワパマ」は全長204.8フィート(約62.4m)、951総トンの木造船で、825馬力の三段膨張型蒸気機関を備え、竣工時は2本マストであった。
日本の機帆船太平洋戦争末期に八戸港でアメリカ機動部隊搭載機の空襲を受ける機帆船。太平洋戦争中に使用されていた日本の木造船の残骸。1948年昭和23年)にインドネシアレンベ島(id:Pulau Lembeh)で撮影された写真。

日本では20世紀初頭に、まずは帆走漁船用の補助機関として焼玉機関が使用され始めた。その後に、江戸時代より続く弁才船等の純粋帆船が多かった沿岸貨物船の改良として補助的な焼玉機関の搭載が始まり、純然たる帆船に代わって1920年代大正中期 - 昭和初期)には多用されるようになった。初期は帆船に補助機関を搭載したものであったのが、1930年(昭和5年)頃からは逆に機走主体に変わった。船体は木造のままで、大きさは150総トン以下が多く、この頃に日本で狭義に言う「機帆船」の典型が完成し、用語としても定着した。瀬戸内海など各地の石炭雑貨の輸送でかなり重要な地位を占めた。

第二次世界大戦期には、多数が日本軍徴用されて東南アジアなどの占領地での局地輸送に従事し、さらには鉄資源節約になることもあって戦時標準船としてまで建造された。

戦時標準船には70噸型、100噸型、150噸型、200噸型、250噸型、300噸型が建造された。[3]航海速力は5 - 6ノット程度と低く、帆走を持たない機船の戦時標準船と比べて鈍足であった。

戦後も沿岸航路で使用され、ディーゼルエンジン化や船体外板の鉄張補強などの改良もあったが、1960年(昭和35年)頃から次第に小型鋼船に地位を奪われていった。過剰船腹の縮減を図る政府の意向もあって、老朽機帆船の廃船と小型鋼船の代替建造によるスクラップアンドビルドが進んだ。1960年代前半には一般貨物仕様とタンカー仕様を合わせて約2万5千隻が使用されていたが[4]、1970年には8千隻以下に減少して合計総トン数でも小型鋼船の1/3に落ち込み[5]、1980年には2300隻で合計総トン数では内航貨物船舶の4.3%だけとなった[6]


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