機動隊
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この項目では、都道府県警察警備部に属する機動隊について説明しています。

交通部所属の交通機動隊については「交通機動隊」をご覧ください。

刑事部所属の機動捜査隊については「機動捜査隊」をご覧ください。

生活安全部あるいは地域部所属の機動警察隊については「機動警察隊」をご覧ください。

機動隊の部隊訓練 街頭で警備活動に当たる警視庁機動隊

機動隊(きどうたい)は、日本の警察において、集団的警備力及び機動力を有し治安警備及び災害警備等に当たる、各都道府県警察部隊である。本部警備部に置かれ、集団警備力の中核を担う警備警察の常設部隊である。

基幹となる機動隊は約8,000人体制、これを補完する増援部隊として広域運用される管区機動隊および第二機動隊が約4,000人体制として整備されている[1]
概要

主な任務は治安警備、災害警備、雑踏警備警衛警護、集団警ら及び各種一斉取締りである[2]。「治安警備」とは、国の公安に係る犯罪及び政治運動に伴う犯罪が発生した場合において、部隊活動により犯罪を未然に防止し、犯罪が発生した場合の違法状態を収拾する警備実施活動のことであり、「災害警備」とは、災害が発生した場合に、個人の生命、身体及び財産を保護し、公共の安全と秩序を維持することを目的に行う警察の救助活動等のことである。
沿革特別警備隊(1938年(昭和13年))
特別警備隊・警備隊の編成と解体

機動隊の起源は、1933年昭和8年)10月1日内務省管理下の警視庁が設置した特別警備隊に遡る。これは桜田門事件血盟団事件五・一五事件など、不穏な社会情勢に対処するために創設されたもので、行幸啓警衛国葬大衆運動警備災害時の救助活動等に従事して集団警備力を発揮し、「昭和の新選組」「警官の華」の通称で広く市民からも親しまれた[3][4]

また第二次世界大戦後期、日本本土空襲が本格化すると、警備・救護の必要性が激増したこともあり、1944年4月12日、勅令第243号により主要な府県警備隊が設置されることとなった。東京でも、同年4月21日付で警視庁警備隊(6個大隊、計2,550名)が発足し、特別警備隊はこれに発展的に解消して廃止された[5]

日本の降伏を受けて、1946年1月16日、連合国軍最高司令官総司令部は警備隊の解隊を指示した。これを受けて2月16日には警視庁警備隊も解隊されて、同日設置された防護課(234名)がその役割を引き継いだ。しかし連合国軍占領下の日本では集団犯罪や急進的な社会運動に伴う暴動などが多発しており、このような少人数では対処が難しい状況も多かった[6]
警視庁予備隊と機動隊の編成

占領下では警察力の増強は困難であったが、1948年の警察法施行とともに警視庁の増員が認められたことから、この機会に集団警備力の増強が図られることとなり、1948年5月、警視庁予備隊が設置された[6]。また1952年7月には、国家地方警察本部の指令により、「すぐれた指揮官に統率せられ、強固な団結・優れた機動性・十分な装備を有し、徹底した訓練を受けた精鋭部隊の整備強化」を目的として、まず20都府県に機動隊が設置された[7]

その後、1954年7月27日に制定された警察庁発備第3号「機動隊の設置について」に基づいて全国で機動隊の設置が開始され、1962年までに全ての都道府県警察に設置された。また1957年4月1日には、元祖にあたる警視庁予備隊も、他の地域と同様に警視庁機動隊と改称された[8]
各道府県での創設.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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北海道警察 - 1952年3月、札幌方面機動警備隊として発足。1961年4月1日、北海道警察機動隊として改編[9]

東北管区

青森県警察 - 1952年8月29日、国家地方警察青森県本部警備部警ら交通課所属として発足[10]

岩手県警察 - 1948年9月、国家地方警察岩手県本部警備部機動班として発足、変遷を経て、1979年4月1日より現体制[11]

秋田県警察 - 1962年4月、警備部警ら交通課所属として発足。その後、機構改革に伴って警備部外勤課に所属替えされた後、1970年4月、管区機動隊を担っていた同課の機動警ら隊と合隊し、警備部機動隊として独立した。1972年に警備第二課が新設されるとこちらの所属となったが、1973年3月に機動隊と機動警ら隊が独立、1974年には機動警ら隊が所属替えした[12]

宮城県警察 - 1954年7月、国家地方警察宮城県本部特別機動隊と仙台市警察警ら方面隊を統合して発足[13]

山形県警察 - 1961年4月、警ら課所属として発足。1969年4月に管区機動隊が発足し、1970年4月、警備部機動隊として統合。1979年4月より独立所属となり、現体制[11]

福島県警察 - 1948年、国家地方警察福島県本部機動班として発足。以後、警ら交通課機動隊、警ら課機動隊、警備部機動隊と発展し、1973年4月1日に現体制[14]


関東管区

茨城県警察 - 1952年9月15日、国家地方警察茨城県本部警備部警ら交通課所属として発足。


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