機体
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この項目では、航空機の機体について説明しています。胴体(Fuselage)については「胴体 (航空)」をご覧ください。
アグスタウェストランド AW101 ヘリコプター機体図

機体(英語:airframe、エアフレーム)という用語は、航空機の物理的構造を意味し、通常は推進システム(エンジン)を含まない[1] [2][3]。航空機そのもの及び人型ロボットなど航空機ではないものも指す。
歴史カナダ空軍第428飛行隊のウェリントン・マークX HE239。砲撃を受けながらも耐空性を維持したジオデシック構造が見える。

航空機の機体の歴史は、1903年アメリカ合衆国ライト兄弟が木製の複葉機を作り、固定翼機の可能性を世に示したことに始まる。しかし、飛躍的な発展は、不幸にして第一次世界大戦中の軍事目的によってもたらされた。この時代の有名な航空機には、ドイツフォッカー米国カーチス三葉機、そしてドイツのタウベ単葉機がある。これらの航空機は、金属によるハイブリッド構造であった。

1920年代から1930年代にかけての、いわゆる大戦間期は、シュナイダー・トロフィーが国威をかけた技術競争の場となり、一層の高出力化と高速化が進んだ。その結果、機体構造は、大馬力に耐えうる全金属製のモノコック構造へと収れんして行き、高速機では翼面荷重の大きな低翼・単葉が常識となった。さらに降着装置を引き込み式にするものも現れた。また、ボーイング1938年末に進空させた旅客機モデル307において、初めて与圧キャビンを実用化した。素材の面では、住友金属工業超々ジュラルミンの開発に成功したことも特筆すべき出来事である。

商用機体の開発では、星型エンジンを使う単葉機の設計が注目されていた。当時の航空機の多くは、チャールズ・リンドバーグ大西洋横断で使用したスピリットオブセントルイス号のように個別生産か、あるいは少量生産であった。完全な金属製のフォード4-ATおよび5-AT三発機[4]ダグラス DC-3双発プロペラ機[5]は、この時代最も成功した設計である。

第二次世界大戦を迎え、機体設計は再び軍用機がリードすることとなった。有名なものには米国のダグラスC-47ボーイングB-17ノースアメリカB-25ロッキードP-38、そしてアブロ ランカスターがある。

設計上の革新は1930年代に始まっていた。日本では、中島飛行機九七式戦闘機のために開発した、左右主翼の通し桁とブロック工法の機体は、川崎航空機製を除く日本軍のほとんどの低翼単葉機の標準となった。モノコック構造隆盛の一方で英国ビッカースは、大圏構造(geodetic construction method、en:Geodetic airframe#Aeroplanesを参照)をウェルズレイウェリントンに採用した。また、過去の素材と思われていた木材を主要構造材とした高機動戦闘爆撃機デ・ハビランド モスキートも、同大戦中に開発されている。最初の実用ジェット機も同大戦中に製造されたが、その数は限られていた。ボーイング B-29は高高度爆撃機として設計され、与圧式の機体(Pressurised fuselage)となった[6]

戦後の商用航空機の設計では、当初はターボプロップエンジン、後にジェットエンジンを持つ旅客機が注目された。これらのための、より高速向け、かつ、より引張応力の高い機体の開発は大きな課題であった[7]。新たに開発されたマグネシウム亜鉛を含むアルミニウム合金は、これらの設計に必要不可欠であった[8]1957年に初飛行したロッキードL-188ターボプロップエンジン機がこれらの材料のいくつかを使用したが、振動制御と金属疲労に関する高価な試験でもあった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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