橘高文彦
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橘高 文彦
生誕 (1965-12-27)
1965年12月27日(58歳)
出身地 日本,大阪府枚方市
学歴立教高等学校
(現・立教新座高等学校)
ジャンルヘヴィメタル
ハードロック
職業ギタリスト
作曲家
音楽プロデューサー
担当楽器ギター
活動期間1981年 -
共同作業者AROUGE
筋肉少女帯
X.Y.Z.→A
公式サイト ⇒橘高文彦オフィシャルサイト
著名使用楽器
Gibson Flying V
Caparison FKV
マイケル・シェンカー
山本恭司
キッス

橘高 文彦(きつたか ふみひこ、1965年12月27日 - )は、大阪府枚方市出身のギタリスト作曲家音楽プロデューサー

1984年ヘヴィメタルギタリストとしてデビューし、以後、様々なバンドを渡り歩く。現在加入し活動しているバンドは、筋肉少女帯X.Y.Z.→A大槻ケンヂと橘高文彦(ユニット)の3組である。

妻と3人の息子がいる。実兄の橘高正彦は競技麻雀のプロ雀士である。
来歴

1980年、中学2年生の3学期に上京。渋谷区立松濤中学校立教高等学校(現・立教新座高等学校)卒業。

1981年ヘヴィメタルバンド「SLEAZY LUSTER(スリージー・ラスター)」結成。高校生バンドとしてアマチュアコンテストで入選。筋肉少女帯や太田明の「Y.T.J」ともこの大会の予選で知り合っている。橘高は当時から速弾きギタリストとしてアマチュア界隈では一目置かれる存在であった。当時バックバンドを募集していた浜田麻里の所属事務所にデモテープを送り、採用されメジャー契約を結ぶ。

1984年、バンド名を「AROUGE(アルージュ)」と改名し、ギタリストとしてメジャーデビューする。デビューアルバム「AROUGE ?暴逆の貴公子?」においてはギタリストとしてのみならずセルフプロデュースも行った。1986年、「AROUGE」解散。

1988年録音スタジオにてアルバイトしていた頃、「筋肉少女帯ボーカル大槻ケンヂから電話にて加入の誘いを受ける[1]。当時の筋肉少女帯はギタリスト加藤卓之の1988年ツアー途中での脱退後、横関敦が2ndアルバム発売後のツアー終了(1989年2月)までの期間限定契約でサポートとして参加しており、正規メンバーとしてのギタリストを探していた。

1989年、オーディションを経て筋肉少女帯に第22期メンバーとして加入。当初、橘高はピアニスト三柴理と共にプレイ出来ると思っていたが、彼のオーディションが行われた同日夜のミーティングにて三柴がツアー最終日での脱退を表明[2]。後に「三柴君と一緒にやれると思っていたら、彼が辞めちゃって」と語っている。その後、在籍期間中は編曲と共にサウンドプローデュースも行い、バンドの発展に貢献する。

1994年、ソロ活動に際し、橘高、齋藤哲也、秦野猛行をキーメンバーとしたバンド「Euphoria(ユーフォリア)」を結成。ユニバーサルビクターよりアルバム1枚をリリースし、ライヴ活動も行った。

1999年、前年にドラマーの太田明が脱退をしたこと、リーダーの大槻ケンヂがメンバーの一新により新たな活動をしたい旨を告げたことなどを受けて筋肉少女帯からの脱退を決意。5月17日、脱退を表明した。また「筋肉少女帯」から脱退する直前に二井原実和佐田達彦ファンキー末吉と共に、「X.Y.Z.→A」を結成。脱退後は「X.Y.Z.→A」に身を置き、こちらでもギタリスト、サウンドプロデューサーとして活動する。なお脱退後も大槻ケンヂらとは交流があり、大槻のバンド「特撮」とは対バンライブを行い、「イワンのばか」など筋肉少女帯時代の曲をセッションして披露していた。

2005年、デビュー20周年を記念してソロプロジェクトを始動。記念アルバム「NEVER ENDING STORY」をリリース。このアルバムは橘高が過去及び現在までに在籍したバンドのボーカル二井原実大槻ケンヂなどがゲストとして顔を揃え、最後の曲「THANK YOU」では自らボーカルを担当した。

2006年、大槻ケンヂと共に「大槻ケンヂと橘高文彦」の名でユニットを結成し、シングル「踊る赤ちゃん人間」をリリース。レコーディングとその年の7月に行ったライブにて念願の三柴理と競演を果たした。またライブのゲストに筋肉少女帯メンバーの内田雄一郎と本城聡章が登場。筋肉少女帯再結成を宣言し、大槻ケンヂと共に再加入を果たす。なお「大槻ケンヂと橘高文彦」は当初期間限定のユニットかと思われたが、その後もライブを開催したり、イベントなどに参加してはアンプラグド形式のライブを行っていた。

2010年、デビュー25周年を記念して、記念アルバム「DREAM CASTLE ~BEST OF FUMIHIKO KITSUTAKA~」をリリース。このアルバムは橘高が過去及び現在までに在籍したバンド曲のベスト盤となっており、最後の曲「夢のあとさき」ではボーカル山田晃士AROUGE)、大槻ケンヂ筋肉少女帯)、二井原実X.Y.Z.→A)、tezya(Euphoria)などがゲストとして顔を揃え、自らもボーカルを行った。
人物

音楽面ではクイーンキッス等のバンドマイケル・シェンカー山本恭司といったメロディアスな「泣き」を持つギタリストを主として、ハードロック/ヘヴィメタルから大きな影響を受けている。またレコーディングやライブではギブソン社が販売しているエレクトリックギターフライングV」をメインに使用しているが、時には台にセットした12弦ギターなども使用する(90年代初期にはジャクソン社のランディV、X.Y.Z.→A加入以降は自身のシグネイチャーモデルであるキャパリソンのフライングVを使用している)。また筋肉少女帯の4thアルバム「サーカス団パノラマ島へ帰る」ではマンドリンを演奏している。

演奏に関しては卓越した技術を持っており、タッピングやアーミング、エコノミーピッキングをほとんど行わず、オルタネイトピッキングを基本にピッキングハーモニクスを多用しながら、激しいステージ・パフォーマンスを展開するギタリストである。本人曰く「お城を建てる」ような様式美に溢れたギターソロは全キャリアを通じて不変のスタイル。しかし速弾きのみに拘泥しているわけではなく、叙情的なアコースティック・ギターによるリードや、逆にフラッシーな連譜を用いない「泣き」のロングトーンなどの起伏を織り交ぜたプレイ、スタジオ作業においてもギター・オーケストレーションを得意とするほか、パロディ・オマージュを問わず様々なジャンルが混淆する筋肉少女帯のサウンドにおいて多彩な音楽のアプローチをそつなくこなし、実質的なプロデュースを取りまとめるなど、抽斗の多いプレイヤーでもある。ギターソロは基本的に手癖的なリックをちりばめたインプロヴィゼーションによるものであるが、「詩人オウムの世界」は筋肉少女帯加入前に作曲した曲であり橘高自身にとっては思い入れがある曲で、この曲だけはきちんと譜面に起して作曲した、と語る。

衣装に関してはロングブーツ網タイツなどに加え、エナメルフリルをあしらったゴシックロリータ風の中性的な衣装を着用することが多い。しかしある日ライブの打ち上げで居酒屋で飲み会をしている最中、「橘高さんは靴下がダメです!」とファンの子に指摘された。また筋肉少女帯時代、ライブ中にメイクが崩れると、大槻の長いMCの最中に舞台の裏にサッと戻り楽屋で直していた。また再結成後に出演したNHKの歌番組においての発言によれば、「普通の橘高文彦から、ギタリストの橘高文彦になるまでにかかる時間は3時間」とのこと。

一時期、大槻ケンヂ同様ノイローゼに悩まされ、レコーディングやインタビューの待ち合わせ時間に大幅に遅刻、ないし現れないなどの「奇行」が目立った。その結果として精神的に疲弊し、一時はバンドに迷惑をかけてはいけないと脱退を決意していたが、メンバーから「一緒に頑張ってやろうぜ」と慰留された。

常々「ロックとは何か?」と自問自答などしており、よくメンバーにロックについて語っている。しかし大槻はこの事を多少疎ましく感じていたらしく、ライブの打ち上げで大槻とベースの内田雄一郎が漫画「アストロ球団」について語っていたところ、険しい顔をした橘高が近づいてきて「君達!!ロックの話をしろー!!」と叫び激怒した事件は2人を唖然とさせた。後日、楽屋で橘高が内田と共にファミコンソフトについて語っていたところ、目撃した大槻にすかさず同じセリフを言い返されたという[3]


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