橘徳子
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橘 徳子(たちばな の とくし、生没年不詳)は平安中期の女官で、一条後一条二代の乳母。播磨仲遠の女。藤原有国の室、資業の母[1]典侍を務め従三位に至り、「橘三位」と称された。

およそ天徳年間(957年?960年)の生まれか[2]天元3年(980年)前後に懐仁親王(のちの一条天皇)の乳母となる。長徳元年(995年)10月、大宰大弐に任じた有国と共に任地へ下向、その時の威勢は『栄花物語』に描かれている。長保3年(1001年)任果てた夫とともに帰京。寛弘2年(1005年)3月、第一皇女脩子内親王著裳に際して理髪役を奉仕[3]。寛弘5年(1008年)9月、第二皇子敦成親王(のちの後一条天皇)誕生に際して乳付役を奉仕、七夜産養には中宮彰子から贈り物を受けた[4]。寛弘8年(1011年)夫と死別。治安2年(1022年)7月、後一条天皇法成寺行幸に供奉した[5]のを最後に、その後の消息は不明。
脚注^尊卑分脉
^ 『朝日日本歴史人物事典』
^小右記
^紫式部日記
^ 『栄花物語』


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