凡例橘以政
時代平安時代後期
生誕不明
死没不明
官位正四位下
主君六条天皇→高倉天皇→安徳天皇→後鳥羽天皇
九条兼実
氏族橘氏
父母父:橘以長
兄弟以政、以房
橘 以政(たちばな の もちまさ)は、平安時代末期の貴族。筑後守・橘以長の子。官位は正四位下。橘氏長者。 初め鳥羽院の院蔵人を務めていたが、久寿2年(1155年)7月に後白河天皇の践祚に伴って六位蔵人に転じ、同年11月に従五位下に叙爵した。 のち、肥前守・筑前守・摂津守・筑後守などの受領を歴任したほか、中宮亮も務め、この間の文治3年(1187年)には造興福寺次官に任ぜられている。また、養和元年(1181年)8月に九条兼実の家司となった。
経歴
官歴
時期不詳:正六位上[1]
久寿2年(1155年) 7月26日:六位蔵人、元一院蔵人一[1]。11月22日:兼左近衛将監、従五位下[1]
保元2年(1157年) 正月24日:肥前守[1]
治承元年(1177年) 正月22日:見筑前前司[2]
文治3年(1187年) 7月:造興福寺次官
文治5年(1189年) 7月10日:見前摂津守[2]
建久5年(1194年) 9月22日:見正四位下[2]
系譜
父:橘以長(?-1169)
母:不詳
生母不詳の子女
男子:橘以経
男子:橘以輔
男子:政舜
脚注^ a b c d 『兵範記』
^ a b c 『愚昧記』
参考文献
角田文衛監修『平安時代史事典』角川書店、1994年。
市川久編『蔵人補任』続群書類従完成会、1989年
宮崎康充編『国司補任 第五』続群書類従完成会、1990年