「橋詰功」とは別人です。
はしづめ いさお
橋爪 功
生年月日 (1941-09-17) 1941年9月17日(82歳)
出生地 日本・大阪府大阪市
身長168 cm
血液型O型
職業俳優
活動期間1962年 -
活動内容俳優
著名な家族橋爪遼(息子)
橋爪渓
受賞
日本アカデミー賞
第13回 優秀助演男優賞
第15回 優秀助演男優賞
第20回 優秀主演男優賞
第37回 優秀主演男優賞
その他の賞
受賞歴参照
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橋爪 功(はしづめ いさお[1][2]、1941年9月17日 - )は、日本の俳優。演劇集団 円前代表、円企画所属。身長168cm、体重63kg。O型。 大阪府大阪市東住吉区に生まれた[3]。路地奥の上下に二間、内風呂と小さな庭のある借家で育つ[3]。父は和歌山県の海南出身[3]。母は愛人であり[4]、父には本妻が別にいた[3]。11才上の兄はいったん母親の兄の籍に入った後、父の籍に入ったので、当初は功が母の戸籍上では長男となっていた[3]。 子どもの頃は、父の影響で歌舞伎や映画を観るのが好きな子だった。明るく目立ちたがり屋なこともあり、東田辺小学校では生徒会長を買って出た[5]。 大阪教育大学附属平野中学校へ進学した後、そこで出会った友人がサルトルやカミュの作品を読んでいた影響で自身も文学作品を読むようになった[5]。中学2年で父親を亡くす[6]。父の本妻は病弱だったため、父の死後まもなく亡くなった[6]。 大阪府立天王寺高等学校1年の2学期、東京に転居して東京都立青山高等学校に転校した[6]。父が残してくれたお金で世田谷区千歳烏山に家を建てて暮らし始める。高校の文化祭でたまたま見た演劇部の「獅子」という舞台に感激し、入部した[5]。その後学力が下がったことで国立大学は学力的に厳しく、私立大は経済的に難しいことから大学進学を断念[5]。 ある日新聞で文学座が10年ぶりに研究生を募集するという記事を偶然見つけて[5]1961年、文学座附属演劇研究所の1期生に応募し合格[注 1]。同期には岸田森、草野大悟、寺田農、樹木希林、小川眞由美、北村総一朗がいた。1963年、文学座を離れ劇団雲に参加する。1974年、尊敬する芥川比呂志演出の舞台『スカパンの悪だくみ』で大阪弁でスカパンを演じ、この仕事が俳優としての転機となり一躍演劇界のスターとなる。 1975年、芥川、仲谷昇、岸田今日子、有川博らとともに、演劇集団 円の創立に参加。以降も所属する円を中心に、舞台活動を続けている。2006年、前代表の仲谷昇の死後、円の代表となり2023年まで務めた。野田秀樹との二人芝居『し』や、椎名桔平と共演の『レインマン』など、外部出演も多い。 2010年1月に放送されたFMシアター『かわり目?父と娘の15年?』(NHK大阪放送局製作)では、放送文化基金賞演技賞受賞。 2011年、第46回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。 30代後半からテレビドラマに出演するようになり、その後は連続・2時間モノを問わずにコンスタントに出演。しかも主役から脇役まで幅広く演じ分けて個性を発揮(若い頃は脇役専門で、1970年代から1980年代には悪役として活動)。主役を演じるようになったのは50代に入ってからだが、2時間ドラマでの主演が多く、『京都迷宮案内』など、シリーズ化されたものもある。 他にも海外ドラマの吹き替えや、中学校国語科教科書音声教材CD(光村図書版)での魯迅『故郷』の朗読などもこなしている。
経歴
生い立ち
学生時代
俳優として
受賞歴
第13回日本アカデミー賞優秀助演男優賞 - 映画「キッチン」、「ジュリエット・ゲーム」、「善人の条件」
第15回日本アカデミー賞優秀助演男優賞 - 映画「おいしい結婚」
第20回日本アカデミー賞優秀主演男優賞 - 映画「お日柄もよくご愁傷さま」
第9回読売演劇大賞優秀男優賞
第15回読売演劇大賞選考委員特別賞 - 舞台「実験」「レインマン」
第36回放送文化基金賞演技賞 - ラジオドラマ「かわり目?父と娘の15年?」
第46回紀伊國屋演劇賞個人賞 - 舞台「ゴドーを待ちながら」「ウエアハウス circle」
第37回日本アカデミー賞 優秀主演男優賞[7] - 映画「東京家族」
第67回芸術選奨文部科学大臣賞 - 「景清」での演技
第25回読売演劇大賞最優秀男優賞 - 舞台「謎の変奏曲」
第44回菊田一夫演劇賞 - 舞台「Le Pere 父」
第27回読売演劇大賞 大賞・最優秀男優賞 - 舞台「Le Pere 父」
第28回橋田賞
旭日小綬章(2021年)[8][9]
人物・エピソード
対人関係
青山高校の同級生には仲本工事がいた。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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