橋浦時雄
[Wikipedia|▼Menu]

橋浦 時雄(はしうら ときお、1891年明治24年)6月21日 - 1969年昭和44年)2月10日)は、日本社会運動家である[1][2]。ペンネームは溟郎生[2]
経歴・人物

鳥取県岩美郡大岩村(現在の岩美町)に生まれる[2]早稲田大学中退後[1][2]社会主義を主張し幸徳秋水堺利彦らと親交を持つ[1][2]。後に彼らと共に社会主義研究会の設立時のメンバーとなり[1][2]1910年(明治43年)に発生した幸徳らが起こした大逆事件ではその事件に関する批判した日記を日本政府に提出した事により起訴され[2]、さらにその日記の没収した事により不敬罪として計禁錮5年4ヶ月の有罪判決を受けた[2]

服役中の1914年大正3年)には売文社[2]、釈放後の1918年(大正7年)には暁民会1920年(大正9年)には日本社会主義同盟の創設にそれぞれ携わった[2]。後に第一次共産党に入党するも[1][2]1923年(大正12年)に同党が起こした事件に関与した事により再度起訴された[2]。これにより禁錮10ヶ月の有罪判決を受け[2]、この事件の影響もあり1925年(大正14年)に離党する[1][2]。離党後も労農派の社会運動家として[2]社会大衆党に入党し1937年(昭和12年)に発生した人民戦線事件においても事件に関与したとして[2]、再度執行猶予付の懲役2年の有罪判決となった[2]。釈放後は全国の生活協同組合や消費組合の促進運動に携わった[1][2]。実兄に同じく社会運動家の橋浦泰雄、実妹には女性運動家の橋浦はる子がいる。
脚注^ a b c d e f g “橋浦時雄”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)株式会社DIGITALIO. 2023年2月23日閲覧。
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r “橋浦 時雄”. 20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ)株式会社DIGITALIO. 2023年2月23日閲覧。










戦前の日本共産党
前史(源流諸団体)

売文社

労働運動社

アナ派


水曜会

在米日本人社会主義者団

日本社会主義同盟

コミンテルン日本支部準備会

暁民会(暁民共産党)

第一次共産党時代
(1921/22-24年)

党幹部

堺利彦

山川均

荒畑寒村

高津正道

近藤栄蔵

橋浦時雄

徳田球一

野坂参三

吉川守圀

浦田武雄

赤松克麿

綱領・テーゼ等

22年テーゼ

党大会

党創立大会

2回党大会

臨時党大会

事件

暁民共産党事件(結党前)

極東諸民族大会

第一次共産党検挙事件


「ビューロー」時代
(1924-26年)

綱領・テーゼ等

上海テーゼ

事件

小樽高商軍事教練事件


第二次共産党時代
(1926-29年)

党幹部

渡辺政之輔

佐野学

鍋山貞親

福本和夫

市川正一

三田村四郎

志賀義雄

佐野文夫

綱領・テーゼ等

27年テーゼ

党大会

3回党大会

事件

三・一五事件

四・一六事件

分派・転向者

労農派


「武装共産党」時代
(1929-30年)

党幹部

田中清玄

佐野博

前納善四郎

事件


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:24 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef