橋本菊子
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はしもと きくこ
橋本 菊子
本名橋本 きく
生年月日 (1913-09-12)
1913年9月12日
没年月日 (2004-02-04) 2004年2月4日(90歳没)
出身地 日本東京都
職業女優
活動期間1950年代 - 2004年
活動内容テレビドラマ映画

 受賞
1970年芸術祭演劇部門優秀賞『ふるさとの詩』[1]

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橋本 菊子(はしもと きくこ、1913年9月12日[2][3] - 2004年2月4日)は、日本女優東京都出身[4][3]
略歴

淑徳女学校を卒業後、1934年に久松喜世子の内弟子として新国劇に入所[3]。1937年、文学座に入団[3]。一度は結婚・子育てのために女優業を退いたものの、1951年、ラジオ東京放送劇団に1期生として入団[3]。1955年、再び文学座に所属[3]、1959年、鈴木事務所に所属し[3]、劇団現代劇場[3]、文芸ぷろ[3]、劇団手織座に所属していた[5]

1998年脳梗塞を発症し、2004年2月4日、死去。三回忌となる2006年、遺族が「遺句集 菊一輪」を出版した。
出演
テレビドラマ

ヤシカゴールデン劇場あにいもうと」(1959年3月11日、日本テレビ)[6]

「心に詩あり」(テレビ朝日)

第5回(1959年5月11日)[7]

第8回(1959年6月1日)[8]


「その手にのれ!」(1959年9月2日 - 1960年1月27日、TBS)[9]

スリラー劇場 夜のプリズム「あなたはタバコがやめられる」(1959年10月14日、日本テレビ)[10]

このなぞは私が解く「消えた蝋燭」(1960年3月17日・3月24日、TBS)[11]

雑草の歌「日本脳炎」(1960年8月3日、TBS)[12]

夕やけ天使」第5話・第6話・第8話 - 第12話(9月4日・9月11日・9月25日 - 10月23日、TBS)[13]

富士ホーム劇場(フジテレビ)

「青い雲」(1961年3月12日)[14]

「おとうさんは駐在所のおまわりさん」(1961年5月28日 - 6月4日)[15]


テレビ指定席「春の雪」(1961年4月9日、NHK)[16]

東芝土曜劇場「俺も殺せ」(1961年11月4日、フジテレビ) - 道子の母 役[17]

七人の刑事」第10話(1961年12月6日、TBS)

名作推理劇場「警部の娘」(1963年1月6日、テレビ朝日)[18]

「短い短い物語」第91話(1963年4月24日、テレビ朝日)[19]

全員降下せよ」第10話(1963年8月18日、フジテレビ)[20]

「おかあさん」第2シリーズ 第244話(1964年7月2日、TBS)[21]

女シリーズ「花芯」(1964年10月5日 - 1965年1月15日、テレビ朝日)[22]

鉄道公安36号」第91話(1965年3月10日、テレビ朝日)[23]

乗っていたのは二十七人」第21話(1965年10月16日、テレビ朝日)

東芝日曜劇場(TBS)

女と味噌汁」第3作(1966年1月9日)[24]

「みずぐるま」(1967年5月7日)[25]

天国の父ちゃんこんにちは」第8作(1969年1月26日)[26]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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