「橋本修 (曖昧さ回避)」とは別人です。
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橋本 治
誕生 (1948-03-25) 1948年3月25日
日本 東京都杉並区
死没2019年1月29日(2019-01-29)(70歳)
日本 東京都新宿区
職業小説家, 評論家
活動期間1977年 ? 2019年
代表作『桃尻娘』(1978年)
『桃尻語訳 枕草子』(1987年 - 1988年)
『蝶のゆくえ』(2004年)
『双調 平家物語』(1998年 - 2007年)
『草薙の剣』(2018年)
主な受賞歴新潮学芸賞(1996年)
小林秀雄賞(2002年)
柴田錬三郎賞(2005年)
毎日出版文化賞(2008年)
野間文芸賞(2018年)
ウィキポータル 文学
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橋本 治(はしもと おさむ、1948年〈昭和23年〉3月25日 - 2019年〈平成31年〉1月29日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。
イラストで注目され、『桃尻娘』(1977年)で作家としてデビューすると博学や独特の文体を駆使し、古典の現代語訳、評論・戯曲など多才ぶりを発揮する。作品に『桃尻語訳 枕草子』(1987 - 1988年)、『蝶のゆくえ』(2004年)、『初夏の色』(2013年)などがある。 東京都杉並区の商家の息子に生まれる[1]。1951年3歳の時に世田谷区に転居し、杉並区の小中学校を経て1963年都立豊多摩高校に入学[2]。1966年に同校卒業後予備校に通う[2]。 1967年、東京大学文科III類入学[3]。在学中に歌舞伎と出会い、大学で唯一の友人だった船曳建夫とよく一緒に歌舞伎を見に行った[4]。歌舞伎研究会に入り[3][4]、出演だけでなくパンフレットや舞台美術も手がけた[3][4]。1968年(昭和43年)大学2年次に[注釈 1]、「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」というコピーを打った東京大学駒場祭のポスターで注目される(当時は東大紛争のさなか)[1]。 1973年、東京大学文学部国文学科卒業、卒論は『四世鶴屋南北の劇世界』、専攻は北斎[5]。イラストレーターを経て、 1977年の小説『桃尻娘』(第29回小説現代新人賞佳作[6][注釈 2])を振り出しに、文筆業に転じる。該博な知識と独特な文体を駆使して評論家・随筆家として活躍する一方、古典文学の現代語訳・二次創作にもとりくむ。 学生時代から編み物を始め、1983年までの15年間に60枚もセーターを編んだ[7]。製図を作ってから精密に編み込まれたセーターなどが話題を呼び、「男の編み物」を出版するに至った。編み込まれた題材はデビッド・ボウイのアラジン・セイン、山口百恵、浮世絵など。モデルは、糸井重里、野坂昭如、早川タケジらがつとめた。 1984年度のフジテレビのイメージキャラクターをおかわりシスターズと共につとめたことがある。 1991年に米国で出版された現代日本文学のアンソロジー『Monkey brain sushi』に「愛の牡丹雪」の英訳が収録された[8][注釈 3] 。 1992年、小学館ヤングサンデーの主催するサマーセミナーで講師をつとめた。1993年、雑誌「芸術新潮」で連載「ひらがな日本美術史」を開始。1995年、雑誌「WIRED」の創刊2号(1995年3月号)で大友良英とトークセッション。1999年11月9日 - 23日には、東京・三軒茶屋シアタートラムで篠井英介の一人芝居『女賊』の作・演出をつとめた。 2004年、文化論『上司は思いつきでものを言う』がベストセラーになった[10]。 2005年、雑誌「芸術新潮」での連載「ひらがな日本美術史」が終了。2009年1月、「新潮」2009年2月号に「巡礼」が一挙掲載される[11]。橋本の小説が文芸誌に掲載されたのはこの作品が初めてであった。バブル崩壊期に不動産がらみの借金を負い、毎月百万円が返済に消えてゆくと告白した[12]。 2009年から2010年にかけて刊行した『巡礼』『橋』『リア家の人々』は「戦後3部作」と呼ばれた[10]。 2010年に免疫性の難病である顕微鏡的多発血管炎になった[13]。 2011年1月5日?2月27日に千葉県立中央図書館で行われた企画展示「千葉の文化、再はっけん!?『八犬伝』の楽しさ紹介します?」において、『南総里見八犬伝』から生まれた現代の作品として橋本の『ハイスクール八犬伝』5巻、6巻が展示された。
来歴