橋本正治
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橋本正治 橋本正治

橋本 正治(はしもと まさはる[1]1873年 - 1956年10月8日)は、日本内務官僚政治家北海道札幌市長山口県知事鹿児島県知事呉市長[1]、札幌観光協会長[2]。札幌市栄誉市民。旧姓・吉田。
目次

1 来歴・人物

2 略歴

3 栄典

4 参考文献

5 出典

6 関連項目

来歴・人物

福井県出身。吉田伝七の二男として生まれ、のち橋本久と結婚し橋本と改姓[1]東京帝国大学を卒業。高等文官試験に合格して内務省に入省。北海道勧業部長、山口県知事、鹿児島県知事などを経て1927年、札幌市長に就任。1937年、札幌市長を退任した。後任は三沢寛一

市長在任中は上下水道事業の推進[3]札幌市営バスの運行開始などを行った。藻岩に彫像がある。

ほかに、札幌観光協会の会長(初代)、札幌スキー連盟会長、札幌市防護団長などを務めた。

大倉山ジャンプ競技場の名付け親としても知られる。
略歴

1917年 - 1921年 鹿児島県知事

1921年 - 1924年 山口県知事

1925年 - 1927年 呉市長

1927年 - 1937年 札幌市長

栄典

1915年(大正4年)9月10日 - 正五位[4]

参考文献

「札幌百年の人びと」

「札幌市史」

「新札幌市史」

歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。

出典^ a b c 『新編日本の歴代知事』857頁。
^札幌観光協会ホームページ
^札幌市公式ホームページ 水道のあゆみ
^ 『官報』第934号「叙任及辞令」1915年9月11日。

関連項目

政令指定都市市長一覧

官選











札幌市長
官選

区長

対馬嘉三郎1899.12-1902.5

加藤寛六郎1902.6-1906.6

青木定謙1906.11-1912.11

阿部宇之八1913.8-1919.8

佐藤友熊1919.12-1921.12

市長
高岡直吉1923.2-1927.12

橋本正治1927.12-1937.5

三沢寛一1937.7-1945.7

上原六郎1945.8-1946.11


公選
高田富與1947.4-1959.4

原田與作1959.5-1971.4

板垣武四1971.4-1991.5

桂信雄1991.5-2003.5

上田文雄2003.6-2015.5

秋元克広2015.5-











呉市長
官選

佐久間義一郎1903.2-1903.6

荒尾金吾1903.8-1911.8

沢原俊雄1911.11-1917.7

天野健太郎1917.8-1921.8

春藤嘉平1922.2-1925.1

橋本正治1925.4-1927.3

勝田登一1927.6-1930.11

佐々木英雄1930.11-1932.12

渡辺伍1932.12-1935.5

松本勝太郎1935.6-1936.9

水野甚次郎1937.5-1941.12

鈴木登1942.1-1946.1

水野甚次郎1946.1-1946.11

公選
鈴木術1947.4-1954.3

松本賢一1954.4-1961.10


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