橋本晃一
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

元サッカー選手の「橋本幸一」とは別人です。

はしもと こういち
橋本 晃一
プロフィール
本名三橋 洋一(みつはし よういち)[1][2][3]
性別男性
出身地 日本千葉県館山市[4]神奈川県川崎市[4]
生年月日 (1953-01-12) 1953年1月12日(71歳)
血液型O型[5]
職業声優俳優ナレーター
事務所センテナリア[6]
公式サイト橋本 晃一|センテナリア
公称サイズ(時期不明)[8]
身長 / 体重168[7] cm / 73 kg

声優活動
活動期間1970年代 -
ジャンルアニメ吹き替え
俳優活動
活動期間1970年代 -
ジャンルテレビドラマ
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

橋本 晃一(はしもと こういち、1953年1月12日[2][3][9] - )は、日本声優俳優ナレーターである。千葉県館山市出身[4]神奈川県川崎市育ち[4]センテナリア所属[6]。朗読・語りグループこひのにあ主宰[7]。本名・旧芸名は三橋 洋一(みつはし よういち)[1][2]
来歴

千葉県館山市で生まれ、小学校入学前に神奈川県川崎市に転居[4]

子供の頃から学芸会に出ており、芝居が好きだったという[9]。演じることを色々なジャンルで「やりたいな」と考えていた[10]。テレビ、舞台を見て「すごいな」と感銘を受けたこと、「逆に感動させる立場になりたいな」と考えていたが、漠然と考えていただけなため、当初はプロになろうという気持ちはなかった[10]

川崎市立玉川小学校川崎市立平間中学校東京高等学校を経て、専修大学文学部[5][7]心理学科卒業[4]。その時は家から自転車で通学できる距離にある学校に通い続けていたという[4]。大学に進学するまでは演劇とは全く無縁であったが、大学に進学した途端、演劇サークル「うねび座」に所属[4]津上忠作『八幡船』をひっさげて、夏休み中などは地方などに移動公演に出かけていたようだったという[4]。大学2年生の秋、その道で自分の可能性を試したくなったところ、偶々ラジオで聴いていた[4][10]東京俳優生活協同組合が研究生を募集していることを知り、第1期生になった[11][7][5]。それでも、そのまま役者の世界に入るとは思ってもいなかったという[10]。その後は東京俳優生活協同組合[5]アーツビジョン[5]アクセント[2]賢プロダクション[5]プロダクション・タンク[7]シーブイテック[5]オフィス海風に所属していた。1974年ニッポン放送青春ラジオ劇画『愛と誠』で岩清水弘、『11人のカウボーイ』の続編である連続ドラマ『少年カウボーイ』でロバート・キャラダインを演じる[4]1975年春、養成所を卒業[4]。その時は大学卒業で進路を決めなくてはいけない時期に、レギュラーの仕事をしており、そのまま事務所に所属してしまった[10]。流れに逆らわずにきていたところ、いつしか役者になっていたということであり、運が良かったんだと語る[10]。ただし、決して順風満帆ではなく、色々なことがあったという[10]。そして1977年に『一発貫太くん』の郷則久役でアニメ初レギュラー出演。『とびだせ!マシーン飛竜』の主人公、風間力役にも抜擢されて、「ここまではまことに順調。」、「このままいけばアニメの声のスター街道まっしぐら」、ということになったかも知れないという[4]。しかし風邪をこじらせて寝込むようになってしまい、数週間で病気は全快したが、その間に同役は先輩の古谷徹に交代されている[4]。その時にアニメ出演のチャンスを失ってしまったが、一からやり直そうと再スタートし、テレビの映像面で仕事を続けるかたわら、アニメ出演のチャンスを狙い続けていた[4]。その後、『伝説巨神イデオン』のマルス・ベント役に抜擢され、『聖戦士ダンバイン』のフェイ・チェンカ役、『超時空世紀オーガス』のスレイ役など、個性ある役どころをつかみ好演し、力のあるところを示したという[4]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:80 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef