橋本崇載
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 橋本崇載 元八段(退会)
名前橋本崇載
生年月日 (1983-03-03) 1983年3月3日(41歳)
プロ入り年月日2001年4月1日(18歳)
引退年月日2021年4月2日(38歳)
(退会日 2022年11月1日 / 39歳)
棋士番号239
出身地石川県小松市
所属日本将棋連盟
(関東[-2005]
→関西[2005-2007]
→関東[2007-2021])
師匠剱持松二九段
段位元八段(退会)
戦績
通算成績414勝303敗
(対局数717/勝率0.577)
竜王戦最高クラス1組(10期)
順位戦最高クラスA級(1期)

2022年11月2日現在
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橋本崇載
人物
国籍 日本
YouTube
チャンネル

TAKANORIチャンネル

TAKANORIサブチャンネル

活動期間2021年4月 - 2022年11月
ジャンル社会問題・エンターテインメント・将棋
登録者数1.88万人
総再生回数890,211 回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2021年12月4日時点。 両チャンネルは2022年11月16日に削除された。
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橋本 崇載(はしもと たかのり、1983年3月3日 - )[1]は、日本の元将棋棋士[注 1]。棋士時代は剱持松二九段門下、棋士番号は239だった。愛称は「ハッシー」。2021年4月2日付で現役を引退[3]2022年11月1日付で日本将棋連盟を退会した[4][注 2]。棋士引退後はYouTuberとして活動した期間もあった。
経歴
出生

1983年3月3日石川県小松市に生まれる。出生後すぐに大阪府に転出しており、その後在住したことはないが、将棋連盟への登録上の出身地は石川県小松市としている。
奨励会

1994年9月 奨励会試験では、2位で6級で入会[注 3]。試験対局の成績は7勝2敗だったが、その2敗はいずれも反則負けであった[7]。当時は福岡県在住で、関西奨励会に所属した。

第24回(1998年後期)より三段リーグ入り。参加2期目の第25回では、阿久津主税に次ぐ暫定2位の成績(12勝4敗)で最終日を迎え、奨励会入会が同期で同い年の阿久津と橋本が同時に昇段する可能性もあったが、2連敗を喫し6位に終わった[注 4]。5期目となる第28回2000年後期に、15勝3敗の1位で同星の佐々木慎とともに四段昇段を果たす[注 5]
プロ棋士

渡辺明らとは同世代の棋士である。

(以下、戦績はいずれも、2021年4月1日現在のもの)
若手時代

初参加の第60期順位戦(2001年度)は、5勝5敗の成績であった。同じく初参加の第15期竜王戦(2002年)では、昇級者決定戦を勝ち抜き6組から5組へ昇級。後述の通り当期以降5期連続で昇級を続けた。

2005年度、大阪府にある両親の実家に転居したため、4月に所属を関東から関西に移した[8]。C級2組在位5期目で迎えた第64期順位戦では、2006年3月14日に行われた最終局に勝利し、8勝2敗・3位の成績でC級1組への昇級を決めた[9][注 6]

2006年9月22日、第19期竜王戦2組昇級者決定戦決勝に勝利して1組昇級を決め[10]、七段に昇段した。竜王戦での初参加からの5期連続昇級は佐藤康光鈴木大介に次いで3人目だが、橋本は第15期の6組から第19期の2組までの各期各組においてランキング戦で敗れるも、昇級者決定戦を勝ち抜き「5期連続3位での昇級」と珍しい記録となった。第65期順位戦C級1組では、2007年3月13日に行われた最終局に勝利し、9勝1敗・1位でB級2組への連続昇級を決めた[11]
B級2組時代

2007年、夏に再び関東に転居し、所属も関東に戻った。参加6期目の第48期王位戦で予選を勝ち抜き挑戦者決定リーグへの出場権を獲得した。第66期順位戦B級2組では、将棋世界2007年7月号で担当した順位戦昇級予想記事を担当し、自らを本命に挙げるも4勝6敗と予想外の不振に終わる。橋本は、この件について、2008年7月号も担当した将棋世界の同記事(阿久津主税との対談形式)において、「4勝6敗はファンの方に顔を合わせられないくらい恥ずかしくて。いや私はね、相手が弱いとダメなんですよ。去年はあまりに相手が弱すぎて嫌気がさした将棋が何局もあったんです」「もう、相手の弱さに呆れたことが何回もあって。いや、そういう脆さがあるうちはダメでしょうね。ホントは強いんだけど」などと発言した。

2008年度の第49期王位戦でも予選から挑戦者決定リーグ入りし、タイトルホルダーの渡辺明竜王、A級在籍棋士の丸山忠久他を破り最上位者となり、挑戦者決定戦に出場したが羽生善治に敗れ初のタイトル挑戦には至らなかった[12]第58期王将戦では二次予選2回戦に進出し、自己最高成績を更新した。第34期棋王戦では予選を勝ち抜き本戦に出場。そこでも当時王位のタイトルを保持していた深浦康市に勝利するなど快進撃を続け、準決勝に進出(敗者復活戦出場及び次期シードの権利を獲得)。準決勝で久保利明[注 7]に、敗者復活戦1回戦で阿部隆にそれぞれ敗れ、タイトル挑戦には至らなかった。

2009年度、第50期王位戦挑戦者決定リーグでは、タイトルホルダーの久保利明棋王、A級在籍棋士の佐藤康光、三浦弘行井上慶太を破り最上位者となり、2年連続挑戦者決定戦に進出したが木村一基に敗れて初のタイトル挑戦には至らなかった[13]。シード権を獲得して臨んだ第35期棋王戦では前年に続き深浦に勝利し、2年連続で準決勝に進出。しかし準決勝で杉本昌隆に、敗者復活戦1回戦で山崎隆之にそれぞれ敗れtタイトル挑戦に至らなかった。

2010年、第23期竜王戦でランキング戦(対松尾歩)及び5位決定戦(対高橋道雄)と連敗し、2組へ降級した。竜王戦では第20期(2007年)から4年連続で1組に在位していたが、いずれも本戦出場に至る成績を修められていなかった。第69期(B級2組在位4期目)において、9勝1敗・1位でB級1組への昇級を決めた[14]。B級2組では負け越しを2度経験していた。
A級昇級

2011年度、第83期棋聖戦では1回戦で広瀬章人に勝利しベスト8(2回戦で郷田真隆に敗れる。)。第24期竜王戦では2組ランキング戦で優勝し[15]1組への即復帰を遂げると同時に、本戦トーナメントへ初出場。1回戦で羽生善治名人に勝利するも、2回戦で久保利明二冠に敗れた[16]第70期順位戦B級1組では、2012年2月3日に行われた第12回戦に勝利して8勝目(3敗)を挙げ、昇級を争っていた山崎隆之木村一基が5敗目を喫したため、1戦を残してA級への連続昇級及び順位戦規定に基づく八段昇段を遂げた[17][18]。3月16日の最終戦の深浦康市戦にも勝ち、9勝3敗・1位の成績で、B級1組一期抜けを果たした。タイトル挑戦・棋戦優勝・将棋大賞受賞歴がいずれもない棋士が順位戦A級に昇級するのは、田丸昇以来史上2人目。

2012年度、第61期王座戦は順位戦A級在籍のため2次予選2回戦からシードされ、予選で戸辺誠及び堀口一史座に勝ち、初の本戦出場を果たした。本戦では1回戦で屋敷伸之に敗れた。初めてのA級在籍となった第71期順位戦では強豪を相手に苦戦し、2013年3月1日に行われた最終局は、自身が負けたら無条件で降級、勝っても深浦康市谷川浩司高橋道雄のうち2名以上負けないと残留できない厳しい状態で迎えた。結果、羽生善治に敗れて2勝7敗・10位となり、1期でB級1組へ降級した。
B級1組降級後

2013年度、第21期銀河戦で決勝トーナメントを勝ち抜いたが、決勝戦で稲葉陽に敗れて準優勝。第63期王将戦では58期以来2度目の二次予選2回戦進出となったがそこで敗退し、以降も挑戦者決定リーグ出場は果たせなかった。

2014年度、第64回NHK杯戦でベスト4進出するも、準決勝の行方尚史戦で二歩の反則手を指して敗退した(後述)。

2016年度、第29期竜王戦ランキング戦で深浦康市に敗退し、5位決定戦でも羽生善治に敗北、2011年より在籍していた1組からの降級が決定した。第66回NHK杯戦ではベスト4に進出するも、準決勝で佐藤和俊に敗れた。

2017年度、第76期順位戦B級1組では最終局に勝てばA級復帰だったが、郷田真隆に敗れて6勝4敗・3位となり昇級を逃した。

2018年度、第77期順位戦B級1組では、前期から一転して不振が続き、最終局に勝ったとしてもクラス残留は他者の結果次第と厳しい状況になった。その最終局では谷川浩司に敗れ、3勝9敗・12位でB級2組へ降級となった。第4期叡王戦では、八段予選戦で豊島将之や山崎隆之らを破り本戦に進出。本戦二回戦で及川拓馬に敗れた。

2019年、第32期竜王戦では2組ランキング戦で準優勝し、1組復帰と本戦トーナメント2回目の出場となるも、1回戦で鈴木大介に敗れた。

2020年、第33期では1組ランキング戦で羽生善治に、5位決定戦で木村一基に敗れ、2組降級となった。
休場と引退

2020年10月1日より2021年3月31日まで一身上の都合により公式戦を休場することになった[19]。期間中に開催される公式戦の対局予定は組まれず、すでに対局予定が組まれていた棋聖戦二次予選の中田宏樹戦と、橋本の2勝3敗で進行していた第79期B級2組の残り5局は不戦敗扱いとなった。その結果、順位戦では降級点がついた。

2021年4月2日付で日本将棋連盟に引退届を提出し受理され[3]、同日にYouTubeチャンネル『橋本崇載チャンネル』とTwitterアカウントを開設した。当時、橋本の将来を案じた連盟常務理事の森下卓は、橋本が提出した引退届の受理を保留し、橋本に何度も翻意を促した[20]

連盟のリリースでは引退理由を「一身上の都合」としていたが、自身のYouTubeチャンネル動画や雑誌インタビューなどでは、2019年7月に妻が当時1歳の息子を連れて別居を始めたことについて、これを子の連れ去りだと主張し、親による子どもの連れ去りを違法とするための活動を考えていること、その活動が国を批判することとなり、国から優遇を受けて成り立っている将棋連盟への迷惑となることを懸念しての引退であった、と述べている[21][22][23]

同年4月11日には、新橋駅前で親権に関する演説を行った[24]


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