樽美酒 研二
生誕 (1980-11-28) 1980年11月28日(43歳)
出身地 日本 福岡県うきは市(旧・浮羽郡吉井町)
担当楽器Doramu[1]
活動期間2009年 -
共同作業者
ゴールデンボンバー
tatsuo
公式サイト
「オバマブログ」
樽美酒 研二(だるびっしゅ けんじ、1980年11月28日 - )は、日本のヴィジュアル系エアーバンド・ゴールデンボンバーのDoramu。TBS『SASUKE』の常連選手。 小学校1年生の頃よりプロ野球選手を目指して打ち込む生活を送り[3]、野球推薦で高校に入学する頃までは本気で野球に取り組んでいた。ポジションはそれぞれ小学生でピッチャーとキャッチャーを兼任、その後中学ではセカンド、高校でキャッチャーを担当した[4]。しかし、中学校卒業時に身長が伸び悩んだことで野球選手の夢を諦め[5]、高校に入ると野球部に所属しながら、周囲の影響でBOOWYに関心を持ったことや異性に好かれたいという動機でバンド活動を始める[5]。ボーカル&ギターを担当していた。この頃友人の影響でMissing Tearのローディーとして活動を始め、tatsuoにギターの演奏を教わるも挫折する[6]。 高校卒業後はローディーを続ける[7][8]。ローディーの卒業後は一度就職するものの、程なくして退職。その後上京し、自身も青春パンクバンド「ヘルコプター」のギターボーカルとして活動する[9]。当時作詞作曲したオリジナル楽曲はブログ本2・3の初回限定版特典としてCD化されている。その後交流が続いていたtatsuoに勧められ、ゴールデンボンバー加入を志す[10]。鬼龍院翔は加入のための面接で「裸になれますか?」との問いに「自信があります」と答えるなど[11]、受験者たちの中で飛びぬけていたことを後に述べ[7]、樽美酒本人は上記のやり取りが印象に残ったと述べている[10]。 最初のライブは本人にとって惨憺たる結果となり、その後2ヶ月から3ヶ月ほど厳しい状況が続いた[12]。しかし大阪のライブで行ったMCが好評だったことからトークの技術を磨き、また演奏経験のなかったドラムもメンバーからの指摘を受け独学で習得する[12]。 血液型はA型、身長181cm。 2009年4月10日にゴールデンボンバーに加入。芸名はダルビッシュ有にちなんだものである[13]。愛称は研二、研二さんなどが挙げられる[13]。 白塗りに歌舞伎役者のようなメイクをしていることが多い[14]。白塗りの理由を「先代のドラマーが白塗りだったから」「恥ずかしくて赤面しやすいから」としているが[14]、元々は2度目のライブの前に社長に提案されたことによる[15]。メイクは形取りではなく、筆で描いている[16]。 ライブで曲を流すためにドラムセットの陰でiPodを操作しており[17]、ライブ中のMCでたびたび呼ばれる「PAさん」の役目もしている。 ライブで実際にドラムを叩くことはなく完全なエアドラムで[17]、ドラムセットの後ろで踊る際に「邪魔だから」との理由により、スネアドラムがセットから外されている[18]。ドラムスティックはスポンジ製で、2012年時点では東急ハンズで購入した発泡スチロールを切り分けて使用していたが[17]、2012年現在は円柱状のスポンジ素材を使用[19]。 バンド内のキャラクターではムックーなどを担当している[20]。ライブではゴールデンボンバー加入前から活動していた、eversetのコピーバンド「レバーセット」のボーカルとして出演することがある[21]。 鬼龍院によると性格がとびきりポップで、彼が参加したことによりバンドの雰囲気が明るくなったと述べている[7]。また一方で甘えがないところが鬼龍院から好感を持たれている[22]。
経歴
人物